益田与助は姫路近郊の貧しい農家の九番目の子で、黒田家に借りたお米が返せなくなり、台所の水汲みとして奉公していたところ、辛抱強く寒暑に動じずに一所懸命に奉公する姿を官兵衛に見出された。
読み書きが出来ぬのも構わず、官兵衛は下僕として戦場に連れ出すと良く働きやがて士分として取り立てられた。
文禄の役や関ヶ原の合戦で高名、三千石の鉄砲組頭となり、生涯29首討ち取る。
農家出身のため足軽にも慕われ人扱いが上手く、無学ではあるが性格は律儀で正直者、根気強く終生下僕の身の心を忘れず自分を見出してくれた殿様に心から感謝した。
慶長16年(1611)69歳で没。
官兵衛が長政に残した言葉「夏の火鉢、日照りの雨傘」。
夏の火鉢や日照りの雨傘は何の役にも立たぬ。火鉢は冬にこそ、雨傘は雨の日にこそ役立つ物だ。人それぞれの長所を見出し、適材適所に用いれば本人も働きやすく、頑張るものだ。心せよ。
例え無学文盲であろうとも益田与助の長所や可能性を見出して台所の水汲みから黒田二十四騎と謳われる侍大将にまで育てた官兵衛の眼力には感服せざるを得ない。
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