林掃部直利は幼名吉六、信濃国佐久郡軽井沢で生まれ、後に槍の名手としてその名を残した。
先祖は武田信玄に仕えるも長篠の合戦で敗れ伊勢神宮を頼り、伊勢国に移住したがある時たまたま姫路に寄り、そこで幼い吉六(掃部直利)は官兵衛の小姓として出仕することになった。
吉六はその才智と勇猛さで官兵衛に寵愛され、長政から弟のように育てられた。
宇留津城攻め、城井谷攻め、肥後一揆処置、文禄の役で高名。
文禄の役では長政、菅六之助が虎退治をしたのち、我もと一人その場に残って虎を待ち自慢の槍で大虎を射止めた。
長政は3頭の虎を持ち帰り、家康に虎肉を献上。
関ヶ原の合戦では「虎衝きの槍」を掲げて果敢に働く。
寛永6年(1629)福岡で戦に明け暮れた61歳の生涯を終えた。