黒田官兵衛(如水)と黒田二十四騎 黒田惣右衛門直之

2016-09-13 08:50:13 | Weblog

 黒田惣右衛門直之は官兵衛の異母兄弟として姫路で生まれた。

幼少時秀吉に仕えたが、官兵衛の九州攻めのとき、黒田家にに戻るが豊前国中津で妻と共にキリシタンの洗礼を受け、それ以来熱心なキリシタンとなった。

文禄・慶長の役では侍大将として出兵、大いに活躍し高名を上げる。

関ヶ原合戦時、官兵衛は九州の西軍地を攻めていたが、惣右衛門は豊後国東の富来城攻め、肥後久留米城攻めで活躍し、久留米城番を務める。

切支丹であった官兵衛は切支丹信徒の家臣や領民がたくさん居た久留米城番には熱烈な切支丹であった惣右衛門直之が適任との判断であった。

黒田家が筑前福岡52万石に移封した時、惣右衛門は秋月で1万2千石を拝領。

1604年(慶長9年)如水が伏見の藩邸で死去、遺骸は博多の教会に運ばれ、棺の先導を惣右衛門(洗礼名ミゲル)が務めた。

黒田惣右衛門は慶長14年(1609)大坂で死去、長崎のキリシタン墓地に埋葬される。

享年46歳、稀代の戦国武将黒田官兵衛(如水)の異母弟として、よく官兵衛を助け、官兵衛に倣いキリシタンとして信仰に生きた一生であった。

 

 

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