嗚呼中津城3

2007-09-26 10:54:03 | Weblog
中津城の天守台に登り、遥かに周防灘を望む。中津城に天守閣が有ったか無かったか定かではない。貝原益軒の「豊国紀行」には天守無しとあるが、黒田家の歴史書「黒田家譜」には関が原の合戦前、黒田如水がそれまで蓄えていた財貨を天守より持ち出し大広間にひろげ近隣の男子を集め傭兵のためにの費用として配った旨が記されている。どうも天守閣はあったようだ。そうすれば、如水は中津城の天守閣に登り遥か周防灘の彼方から来る天下騒乱の知らせを伝える早船を今か今かと待ちわびていたことになる。太閤亡き後、歴史の表舞台に躍り出ようとした如水がどんな気持ちでその知らせを待っていたかその胸の内や如何に。
コメント (3)
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