如水が天下を意識した時

2007-09-10 17:00:37 | Weblog
ある時秀吉が戯れに「わしが死んだら誰が次に天下を取ると思うか」と謎かけをした。(この話は並み居る武将を前にしてと、御伽衆を前にしてとの諸説あり)そばにいる者たちは徳川家康、前田利家、蒲生氏郷、上杉景勝等の名を挙げた。秀吉は軽く笑って「黒田官兵衛よ」と言い放った。高松城水攻めの最中に本能寺で信長が死んだ知らせを受けたとき「殿、天下を狙いなさい」と秀吉の心を見透かしたような言動に秀吉は驚愕した。この男は油断のならない男だと。官兵衛の才智と時代を見る眼、人を束ね動かす能力それら全ては秀吉に優るとも劣らないのは秀吉自身が一番知っていたのだ。秀吉が官兵衛の名を挙げたとの噂を聞いた時、官兵衛は自分が秀吉に危険視されていると気づき直に家督を長政に譲り、名を如水と改め、隠居を秀吉に申し出た。秀吉は家督移譲のみを許したが隠居することは許さずその後も参謀として身近に置いた。如水はその時はじめて「天下」というものが自分の手の届くところにあるのに気づいたのではなかろうか。自分は今まで軍師としてその才智を遺憾なく発揮し秀吉に天下を取らせた。その秀吉が「次に天下を取れるのは黒田官兵衛を置いて他にいない」と認めたのだ。その時如水は、これから秀吉が死に天下が乱れた時自分以外に天下を治めるに相応しい器を備えた者は居ない。あえて言えば家康くらいかと思ったに違いない。如水は確かに当時の「天下人の器」を備えた第一級の武将であり、それは奇しくも如水が豊前中津藩主の時のことであった。その後小田原城開城、文禄・慶長の役、関が原の合戦へと時代は移っていく。しかし天下人の器を持った如水であるが時代は残念ながら如水に天下を取らせることは無かった。

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