「自分に厳しく人にやさしく」
これが人としての「道」、そういう人が「立派な人」という風に育てられたと思う
最近ようやく「自分のことを大事にしよう」「自分を抱きしめよう」というアドバイスをする方が多くなて来たようにも
「私はだめなんです」
「私は失敗ばかりするんです」
「あの子がぐれたのは私の育て方が間違っていたんです」
「夫の浮気は私のせいです、私がもっと女らしくしていればそんなことはなかった」
「私は雑なんです、いつも失敗ばかり」
こうやって自分自身を責める人も多い
ある時
チャ子ちゃん先生は「この体をだれが作ったの?」と問いかけた時、「神の創造」という答えが返ってきた
そうか
親鸞万象すべて神の創造であるのは理解できていたが、そうかこの体は神様にお借りしているのか!そうであれば大切に扱わなかれば失礼だ、申し訳ない
自分を責めることは
「神様を責めることになるのだわ」
そう感じた瞬間!わっと視野が開けてきた、雲一つない真っ青な空が現れた感じだ
よく失敗をする
「あらら何か私を学ばせているのね、なるほどこう考えればもっと素敵な自分になっていく、感謝感謝」
お気楽な感じではあるが、自分を責める前に「神様はどんなテーマを私に投げかけているの?」と謎解きを始めると、なーるほどとうなる
「うわっ」と眠れぬ夜もある
「またまた難題ぶっつけてきたのね!」
つまりは生きること生き続けることは、自分自身との付き合い方ひとつで、楽しくも憂うつにもなる
自分自身を無条件に愛せることが一番だと最近思う
自己中と自分を愛するという違いを理解しないといけないけど
絹を身に着け自分自身の体を守っていることも、神様を大事に思ってのことなーーんて自画自賛
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