チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

神のみ遣いか?

2023年10月16日 08時30分13秒 | 日記

どうしてなのだろうか?

・この人と組むといつも失敗をする

・この人と交わると自分の恥部が引っ張り出される

・この人からはいつも厳しいことを言われる

・この人にはいつもどういうわけか失礼なことをしてしまう

 

こういうことが起きやすい人との交わりがある。またはある時期こういう人が忽然と現れる

 

その都度頭をこつんとたたかれた感じがしたり

心臓を抉り出された思いになったりして落ち込む

 

世の多くの方はこういう時「ありがとう」と感謝をして笑うことを心がければいい、そうすると落ち着き次を迎えられる。というアドバイスをしている

それは正しいアドバイスだと思うが、当事者にとってはなかなかそれはできにくい

 

しかしそれはすべて自分から出ていることだ、自分が引き寄せていることなので、自分で解決しなければいけない。ということに気が付くまで、何回も同じ目に合うようにできている

 

私たちはこの地球に「体験をする」ために来ているので、体験を積めば積むほど「魂」がみがかれ、人間力が付く

その体験の度に問題を抱えるのだ。その問題を解決しないと、問題そのものが大きくなって人がつぶされそうになる

だから問題が起きた直後に逃げないですぐ解決すると、小さな問題で済む

神社、寺、教会、森のなか、海などそういうところに行って、静かに思いを整理すると解決法が見つかりやすい

自分で解決するしかないのだが、人の意見を聞きたいと思う、他人の意見はその人の考えであって、自分の考えではない。ここに気が付くまで、人は多くの失敗を重ねる。どうもそういうものらしい。

 

目の前で苦言をいう人は「神仏の使い」と思へというのは、戦前の家庭教育の中にあった

何回も何回も苦しみ悩みを持つのは、生きている証、それを自分自身で解決していくと、強くも優しくもなれる

苦言を呈している相手を「神のみ遣い」とか「私を素敵にいしてくれている」と思えるようになれたらしめたものだわね

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする