チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 304

2020年03月18日 09時50分33秒 | 日記
きょうから春分に向けて春爛漫の陽気らしい
上野の桜も見事に咲き始めたと聞くが。博物館も動物園もお休み
せっかく?の休みにどこもいけない子供たちが公園に出てきて遊んでいる

夫も子供も家にいて何となくうざったい主婦が小さなセミナーに顔を出している
秋桜舎もちらほら人が集まってきている
チャ子ちゃん先生に昔の日本の話を聞きたいという
昔の主婦のありようを知りたいと(年を重ねるというのもこういう時お役に立つんだわね)

着物を通して様々な勉強ができた、作り手のところに行くからその地の文化も吸収できた、そして人柄も。いろんな考えの中で人は暮らしているのだがいざというときの助け合いは素晴らしい。その一方で「村八分」という規制がある

村に迷惑をかけたり、悪いことをした住民は村八分いあう。二分は許される。其の二分は、お葬式と結婚式、村によってはお葬式と火事というところもある。村八分はなかなか解けることもなく、二代三代と続く場合もあり、ひそかに村を去る家庭も多かったようっだ

でもそういいうときも陰でひっそりと助ける人々もいた。それが日本人の魂だと思う

ひそかに村を出ていく家族に着物を渡す決まりがあったという村もあった。確かに雨露を防ぐ着るものは必要で、心ある人たちが集めた着物を、家族全員にいきわたるように風呂敷に包んで渡す。それは女たちの行動だが、男もわかっているけど黙って見過ごす。この夫と妻の阿吽の呼吸が美しい日本人

その風呂敷をある時見せてもらった
村を出た人の家庭に取材が出来た。その風呂敷は着物の余り布れをつないで作っていて、子供の物大人、男物など今で言うパッチワークだ、村八分になった人の心を思って手作りした優しさがその風呂敷に現れていてそれを手に取ったとき思わず涙ぐんでしまった。風呂敷は絹だった。いただいた着物は木綿あり、苧麻あり絹ありと素材にも富んでいた

買い走りするのではなく、自分が持っているものの中で役立てようとする心意気、余ったものは人に渡す、ちょっと前の日本人の姿を着物は時々こうして思いだっさせてくれる

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