昨日は「チャコちゅうぶ」ができなかった
スマホで操作するも。多分若い方たちには簡単なのだろうけど、何回か挑戦すれどもできない、やなこっちゃー
加賀友禅作家の「由水十久」さんの工房を訪ねた
彼の父親初代由水十久さんには、いろんなことを教えていただいたし、よく一緒に歩いた
印象的なことは「京劇」にお供したとき、目は舞台を見ながら、手はスケッチブックで早い動きを書き写している。その筆の速さに見とれてしまう
料亭で作る弁当があるからね、と食い物につられていそいそくっついて回るのだから、チャ子ちゃん先生の下心は卑しい
しかしそれらのスケッチが生かされた作品を見ると、別の感覚が湧いてくる
同じ手法で描く日本画と友禅の表現の違いはいったい何だろうかと悩む
日本画家に画商というコンダクターがいるように、きものには問屋というシステムがあった
いづれもモノづくりの人たちを育て生活できるようにレールを引く。そういう仲介者がいるおかげで、画家も友禅師も自分自身の才能を深め高めることができる
しかし今友禅師の業界では問屋の力が激変している
本来問屋はそういうモノづくりの人の作品を現金で購入したものである。画家の発表の場は画廊だが、きものの発表の場は問屋を通じて呉服屋だ。呉服屋も仕入れていた
その構図が崩れていくとモノづくりの人は、出来上がったものをどう売っていくかまで考えなければならない
今着物を着る人は古着で十分と考える人の方が多い
確かに古着にはいいものもある。目の肥えた人たちにはお買い得
絵画は値が下がることはあまりないが、きものは手を通したものは、いや躾の付いたものも売りに出すと二束三文
こういう時代にモノづくりの人たちのご苦労に胸痛む
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