千の天使がバスケットボールする

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『フィガロの結婚』

2006-07-08 23:16:21 | Movie
「盲目的な先入観をもつことは  理をはずれて  いつも人の感覚を欺くのね」

アルマヴィーヴァ伯爵は、侍従フィガロとの結婚式をあげた女中スザンナをあきらめきれずに追いかけて、彼女と伯爵夫人の計略にひっかかり、夜の庭の松の木までのこのこやってくる。スザンナとロジーナ伯爵夫人は、彼女を誘惑する伯爵におしおきをするために、お互いの服装を交換して扮装し、彼を呼び出したのだ。伯爵はスザンナの服を着た夫人の手をとり、妻とは気がつかず「何としなやかな指!艶やかな肌!わしは、体中が新しい情熱で一杯になってきた」とちょい悪おやぢのエロさ満開。その愚かな様子を眺めて、スザンナ、伯爵夫人、フィガロが合唱する場面は「フィガロの結婚」のフィナーレに向かう最高潮である。

世紀末、貴族社会が終焉に向かう頃のセビリア。独身だったアルマヴィーヴァ伯爵は、愛するロジーナと結婚するために邪魔な後見人バルトロの排除を元祖町のなんでも屋フィガロに依頼した。フィガロがその依頼案件を見事にやりとげ結婚できると、伯爵は彼を侍従として迎え入れる。そして、当時その地方にあった領主が花婿より先に花嫁と一夜を共にする権利「初夜権」も廃止した。
さて、フィガロのスザンナとの結婚式当日。伯爵は、あれほど恋こがれて嫁にしたロジーナがいるのも関わらず、次々と女中や村娘と夜伽をくりひろげる。口説き文句は「なんでも欲しいものをやるぞ」と言い、金貨を女の胸の谷間に落とすことだ。目下のターゲットはスザンナ。ところが、彼女はフィガロとの結婚準備に余念がない。とうとう廃止していた「初夜権」を復活させようとたくらむ。その権利を行使するために、結婚祝いと称してふたりに上等なベッドをプレゼントするあつかましさだ。

・・・ここから、あのあまりにも有名な胸がわくわくとするような旋律、「フィガロの結婚」序曲が鳴る。弦と管楽器が、まるで男と女が会話を楽しむかのように、お互いにかけあい、溶け合い、いきいきと響く。

この映画『フィガロの結婚』における指揮者、オケ、歌手、そのすべての組合せは、過ぎ去った20世紀音楽界の最高峰とも言える。歌手の演技力ともいえる表情が、実にユーモラスで巧みである。ミレッラ・フレーニはこの時41歳。19歳で出産をすませた充分成熟した女性だが、フィガロに恋する歌う姿は、チャーミングな乙女そのもの。最近引退されたそうだが、労働者階級出身のミレッラ・フレーニがスザンナ役にこれ以上の歌手はいないくらいはまっているが、伯爵夫人のキリ・テ・カナワも負けていない。ニュージーランドのマオリ族の血をひくキリ・テ・カナワは、エキゾチックな美人。スザンナ役のミレッラ・フレーニが庶民のたくましさをのぞかせる”愛嬌のある”容貌であるのと比較して、伯爵夫人役の彼女は、気品に満ちた面立ちで映画のアップの画面にも女優なみに充分耐える。このふたりが、手紙を書きながら歌うソプラノ二重唱は、至宝の歌声である。美しく、素晴らしい。この平凡な言葉以外、見つからない。

またカール・ベーム指揮とウィーンフィルの組合せによるモーツァルトは、今日に至っても、尚その輝きを失わない。
「フィガロの結婚」は、数あるオペラの中でも最高と評価する音楽ファンが多い。「フィガロの結婚」の音楽に関しては、あまりにも内容がつまっているので今回はふれずに、ニコラウス・アーノンクールの次の言葉を紹介するにとどめたい。
「モーツァルトは、自分が今直面していることを作曲しました。ですから、ふだんは共感しない人物にも、彼は常に共感を覚えるのです。彼らは我々の共感を得るのです。」

1976年製作 イギリス映画
作曲 ‥‥ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

監督 ‥‥ ジャン=ピェール・ポネル

指揮 ‥‥ カール・ベーム

演奏 ‥‥ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

歌手 ‥‥ フィガロ / ヘルマン・プライ(バス)

       伯 爵 / ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ(バリトン)

      伯爵夫人 / キリ・テ・カナワ(ソプラノ)

      スザンナ / ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)

     ケルビーノ / マリア・ユーイング(メゾ・ソプラノ)