千の天使がバスケットボールする

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「下山事件」最後の証言 柴田哲孝著

2005-12-31 17:45:10 | Book
昭和24年7月6日午前0時24分、上野発松戸行の最終電車第2401Mが、定刻どおりに北千住駅を発車して、東武ガード線を通過した頃、運転手が点々と散乱する赤い肉塊を発見する。おりから雨が降り出する中、鉄道員や警察関係者らが約90メートルに渡り飛び散った遺品と肉片を調べはじめる。
「国有鉄道総裁 下山貞則」
と書かれた名刺を発見し、この5つの部分に切断された無残な轢死体が、昨日から三越本店で失踪していた初代国鉄総裁の下山だったと騒然とする明け方には、小雨が豪雨にかわった。

これが後に戦後史最大の謎といわれ、事件から半世紀たつ今もなおマスコミをはじめ人々の関心を眠らせない「下山事件」の発端である。
昭和24年は、戦後の日本の転換期ともいえる分岐点となる年になった。1月に総選挙で民主自由党が圧勝し、第3次吉田茂内閣が発足。「経済安定九原則」を基盤とした”ドッジ・ライン”が実施され、GHQによる統治下、大量解雇を前提とした最終的には200万人もの失業者を想定した合理化を推進する。5月30日には、「行政機関職員定員法案」が可決され、公務員26万7千人の解雇が発表された。
下山総裁は、国鉄合理化に伴う10万人規模の人員整理の渦中にあり、失踪した前日には第一次整理者3万700人の名簿を発表していた。そしてこの事件以後、急速に共産党は求心力を失っていく。

この事件は、翌月警視庁により”自殺”と判定されたが、半世紀をこえてなお様々な憶測が消えない。

①人員整理を苦にした自殺
②労組左派による暗殺
③GHQの関与による謀殺

ジャーナリストである著者が敬愛する亡き祖父、陸軍の特務機関員出身で米国人よりも英語が堪能で「亜細亜産業」で貿易に関わる仕事に携わったが、会社の実態、仕事の内容、GHQのキャノン機関との関わりも含めて謎の多かった祖父だったが、大叔母から「あの事件をやったのは、もしかしたら・・・」というひと言から、下山事件をたどる日々がはじまる。

下山事件の謎のひとつは、膨大な証言や目撃者がいるにも関わらず、多くの作為と虚偽が交じっているところにある。当日の午後、「末広旅館」で下山総裁らしき上品な紳士がやすんでいったと警察に報告し、事件の結論を左右するとまで言われた証言をした、長島フクから亡くなるまで毎年届いた祖父への年賀状。ロイドめがねをかけて変身して孫におどける祖父を、激しく怒り泣いてめがねを捨てた祖母。(下山総裁のかけていたロイドめがねは、最後まで発見されなかった)三鷹事件のあった日、何故か会社を休み様子がおかしかったと母が思い出す祖父の姿。肉親をはじめ、親族のふるえおびえる胸のうち、真相を知りたくないという感情を理解しながらも、心の衝動が著者をつき動かしていく。

やがて本作の最もドキュメンタリーとして頂点に達するのが、「亜細亜産業」の総帥であるY氏を訪問するくだりであろう。
地方の名士であり、武家屋敷に住むY氏は、老いても眼光鋭く精悍な武士のような佇まいを残していた。著者を正面から見据えるやいなや、突然右手で柄を握ると日本刀を抜き顔面で止めて、「貴様、何者だ」と威嚇する。この両者の息のつまる対峙は、映画さながらのようでもある。そこでの会話にのぼるのは、児玉誉士男、東條英機、吉田茂、佐藤栄作、”M資金”はウィロビーの”W”の裏がえし、エリザベス・サンダーホーム、白州次郎、昭電疑獄・・・まるで昭和の闇に吸い込まれるかのような話である。

「表面的な”結果論”や、新聞社の戯言を信じるな。もっと視野を広げてみろ。あの頃の世界情勢はどうだったのか、その中で日本はどのような立場に立たされていたのか。それさえわかれば、下山がなぜ殺されたのかもわかるだろう」

Y氏のこの言葉に、誰もが慄然とするだろう。
下山総裁は、根っからの鉄道好きで技術畑出身である。正義感も強く、生真面目、労組幹部への理解もある人道派だったという。戦後、台湾を支援する一方、人道的な立場から中国の鉄道網の再建を日本の義務であると主張した。満州鉄道の栄華を象徴した”あじあ号”から名をつけた「亜細亜産業」と同様、満鉄に愛情をそそいだ人でもある。もはや現代において自殺説を信じる者はいないだろう。そんな下山総裁が殺されたのは、私人としてでなく”公人”であるのは、自明の理である。下山総裁は、当初から首切りが完了するまでの「暫定総裁」だった。彼を選んだのは、GHQのシャグノン中佐だ。「政治的な背景を持たない人物」という条件に合致したからだ。運輸省次官から政界に進出する希望をもっていた彼は、友人の佐藤栄作のすすめもあり、次々と他の者が断ったこのポストを佐藤のような政治的な後ろだてをもっていないがゆえに、政界への脚がかりとするために承諾することになる。彼の前に断った人物は、みな殺すには惜しい人材だったから。
そして下山総裁は、役割を果たした翌日、何者かによって拉致され、人体実験のように血液を抜かれ、屈辱的ともいえる暴行を受け、深夜遺体を損傷させるために線路に置かれた。事件の残虐さだけでなく、そこに大きな歴史の歯車と暗いひずみを見るから、さらにその国策の分岐点として捨て駒のように尊い命を失った故人を鎮魂するためにも、私たちは今日に至っても真相をあきらかにしたいのではないだろうか。

本書のような内容に叙情をもちこむべきでないと思うが、事件に著者の祖父や親戚が関わりがあるからか、柴田哲孝氏の筆は情緒にふれた湿ったタッチになっている。本来はこのような文体を好まないが、それにも関わらず本書は必読に値する。しかし果たして、本書の登場によって、読者は真相にたどり着けたのだろうか。柴田氏の提示する結果も、やはりひとつの仮説に過ぎない。事件の核心を握る者も、ひとり、またひとりと昭和という時代とともに、真相をもって墓場に去っていったのである。年末にかけて2005年をしめくくる最後に、手にとるにふさわしい本であった。

*内容を考慮し、ブログでは一部仮名しています。
著者インタビュー 


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2 コメント

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TBありがとうございました (野口正人)
2006-01-02 18:23:14
konstanze(でいいのでしょうか?)さん、はじめまして



浜町Blogの野口です。



TBありがとうございました。



柴田氏の本を読んで、下山事件は終戦直後の日本の状況が垣間見れる象徴的な事件であったことを改めて思いました。



こちらからもTBさせていただきます。
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はじめまして (樹衣子*店主)
2006-01-03 23:23:18
樹衣子と申します。



こうしていまだにテレビでとりあげられたり、新しい仮説が本になったり、ご遺族の方も気の毒な気持ちもします。

けれども単純に、国鉄初代総裁という公人が事件にあったというよりも、野口さまのおっしゃるような戦後の日本の象徴的な事件だから、歴史のひとこまとして私たちは忘れてはいけないのでしょう。
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