千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

クラシック追っかけ隊現る

2006-07-31 00:19:38 | Classic
駄目じゃん・・・。覚悟をしていたとはいえ、電話が全然!繋がらずチケットとれず。サントリーホールの訳のわからないウェイティング・リストにエントリーしたけれど、無理だろうな。今年のアーノンクール&モーツァルトのウィーン・フィルこそはと、年初の管理目標にしていたのに。ぐっちーさんやromaniさまは、チケットをゲットできたのだろうか。

それは兎も角として、先週の「週刊朝日」にcalafさまの方が真相をご存知かもしれないが、ある美貌の女性指揮者のスキャンダルが掲載されていた。しかも記者の渾身の記事かと思われる紙面の量とロシアにまで及ぶ取材だった。この男装の麗人・指揮者とファンの48歳主婦の痴話喧嘩は、若者言葉の”ありえね~”の失笑しかでなかったのだが、指揮者としての世間での現れ方が、篠田節子さんの「讃歌」を彷彿させる。

数年前、東京文化会館で記事の主人公であるNさんのチャイコフスキーを聴く機会があった。女性指揮者は、本当に珍しい。それは、女性が燕尾服のかわりに着用する女性性を抑えた黒いスーツ姿が違和感を与えるのと同じくらい、女性と指揮者というお仕事はたとえ男女共同参加になってもなじまない。然し、偏見の曇りなく聴いたNさんの指揮は悪くなかった。長身をいかした指揮は、小柄な男性指揮者以上にダイナミックにチャイコフスキーのロシアを再現していたとも言える。一瞬おちかけた聴かせどころの間を、Nさんの長身と長い腕が描く優雅な指揮棒がなんとか破綻なくまとめた。チャイコフスキーの浪漫性に流されることもなく、うまく整えていたともいえる。たっぷり音楽に浸った高揚とともに席を離れ、驚いたのがロビーでの終演後のNさんのCD販売会である。行列してサインを待つ女性の多くが、まるで宝塚ファンのようだったからだ。クラシック音楽だけでなく、もしかしたらチャイコフスキーやNさんの指揮による音楽以上に、男装の麗人のようなNさんへの、少女のような憧れの気持ちに満たされた幸福な笑顔がそこには咲いていた。行儀のよい彼女、もしくはおばさまたちは、どうもNさんが指揮する演奏会には、かなり脚を運んでいるようだった。それがNさんの正しいファンであるための忠誠の証として。

このような現象をはじめて発見したのは、もう少し前、天満敦子さんの「望郷のバラード」のリサイタルだった。運よく良い席をとれた私のお隣のご年配の女性グループに、若い女性が挨拶にきた。どうもその会話を聞いていると、天満さんのファンクラブの会員たちのようだった。隣人は、そのファンクラブの有力者のもよう。当時、天満さんは人気絶頂期でもあり、またその人柄を好かれる方も多いので、そういうこともあるかと思っただけだったが、その後、所謂”追っかけ隊”を他のヴァイオリニストにも見かけるようになる。

対象になる音楽家のポイントは、テレビ出演で知名度をあげたことにある。先日聴いた五嶋龍くんのサントリーホールでのリサイタルは、普段は辛口の私も甘口にさせられるくらい充実していた内容だった。ところが、翌日も五嶋龍くんのリサイタルを川口まで聴きに行った友人によると、テレビの録画が入っていたサントリー・ホール後の演奏はあまりよくなかったらしい。音楽が途中で止まってしまうのは演奏家として絶対に許されないものでもないと私は思っているのだが、その時の彼の態度のプロ意識の欠如に、友人の大辛口批評が続く。彼女曰く、昨日で燃えつきちゃったみたい。。。にも関わらず、五嶋龍くんの”追っかけ隊”は、おそらくそんな彼の態度さえも18歳の青年らしく微笑ましいのかもしれないという話になった。オチは、あまりにも有名なアンコール曲の”チィゴイネルワイゼン”という曲目も知らない龍くんのファン。五嶋龍くんは大好きだけれど、彼のCDしか聴かないというファン。
クラシック音楽のパイの縮小を懸念するベルリン・フィルの音楽監督サイモン・ラトルは、こどもたち向けの教育プログラムを通して、裾野を広げる活動に熱心なことでも知られている。実際、昨年行ったベルリンフィルの本拠地では、こども向けの演奏会が多かった。音楽性よりもビジュアル的な容姿や、ドラマ性のあるエピソード、アイドルのような扱いの音楽家を好きになろうが気に入ろうが、今までクラシック音楽と縁のなかった方たちがサントリーホールにやってくるのは、大歓迎。けれども、せっかく入口に入ったならば、もっと奥の部屋までのぞいた方が楽しいのに・・・。如何なものか。