千の天使がバスケットボールする

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『ワイルド・ブルー・ヨンダー』

2006-07-20 23:19:38 | Movie
はるかかなた48億年ほど前、この銀河系でひとつの星が命をおえ、超新星が爆発した。やがて宇宙空間の散った残骸から新しい恒星、太陽がつくられ、その太陽の周囲を物質が回転するうちに、密度の高い原子を中心に惑星が誕生した。そのひとつの最も美しい惑星が地球である。このように生命が宿る条件の整った星が存在することは、まさに奇跡だという。だから地球外に生命が存在する星は、もしかしたらないのかもしれない。そして太陽があるから、生命体として地球が暗黒の宇宙で輝いているのだが、その我々の宇宙船、太陽の寿命はあと50億年ほどと言われている。つまり、地球は50億年たったら冷たい星になるであろう。人類の運命やいかに。。。

近未来、地球を出発した有人探査船「ガリレオ」は、宇宙を彷徨っている。目的は、地球の危機により人類の新たな移住先を発見するためだ。しかし、人類が移住するに適当な惑星はどんなに探しても存在しない。宇宙飛行士たちは、地球に帰還することもままならず、無重力状態で宙に浮いている。
そして地上では、すっかり荒れ果てた劇場の前で、ひとりのロン毛のエイリアンが話し始める。
彼?は、自分たち祖先が地球に降り立った頃の話から、人類の宇宙進出とその運命について、そしてエイリアンの故郷である星に思いを馳せながら、その悲しみの滲んだ語りは尽きない。
やがて「ガリレオ」は、表面を氷に覆われた惑星に到着する。なんとかここだったら、人類も移住できるかもしれない。かすかな希望をもち、地球への帰還をはじめる飛行士達。しかし彼らは、知らない。その星が、かってエイリアンが旅立って捨てた死に行く星であることを。そして彼らは、15年ほどの旅から帰ってきたつもりだったのに、地球では800年あまりの歳月が過ぎていたことを。地上におりたった時、彼らは驚くべき事実を発見する。

今年も行ってきた、ドイツ映画祭。どれもこれも観たい映画だったが、時間の都合で「ワイルド・ブルー・ヨンダー」を選ぶ。こんなマニアックな映画なのに、有楽町朝日ホールは、ほぼ満員。
最初から最後まで、SFファンタジー映画というよりもドキュメンタリー映画を観ているような映像が続く。それもしごく当然である。無重力状態で食事したり、カラダを鍛えたり、寝袋で寝る宇宙船内の映像は、NASAから提供されている。笑顔でいきいきと船内生活を楽しむ飛行士たちと、フィクションとして示される人類の末期をつなげると、エイリアンの語る人類の宇宙開発の寂しさは、なんとも荒涼とした感じである。人類が住める惑星は、地球以外にないと覚悟を決めるべきだろうか。
それとは別に、たどり着いたエイリアンの氷に覆われた故郷の星は、美しい。ヴェルナー・ヘルツォーク監督独特のこだわりの映像世界に、宣伝文句ぬきに確かに感動した。人なつっこい生きもの、そしてその不可思議な生き物の感情表現、どこまでも続く水中の幻想的な世界。そこは地球ではないのに、「人類が誕生する前の原始の世界」に通じる。ゆるやかに死を迎える星と誕生する地球とのつながりは、メビウスの輪のような永遠さえも感じる。詩的でファンタジー溢れる本作品は、ヴェネツィア映画祭で絶賛され、国際批評家連盟賞を受賞する。
物語は、あくまでもひとつの寓話である。楽しむべきは、ドキュメントのリアリズムにまぶした夢幻の花の儚さであろう。
但し、音楽に関しては好き嫌いがわかれるかもしれない。アフリカ人歌手やサルディニアのコーラスは、あまりこの映画にふさわしいと思えなかったのが非常に残念だ。やはり、ここは、J・S・BACHではないだろうか。

原題:The Wild Blue Yonder (Werner Herzog)
監督/脚本: ヴェルナー・ヘルツォーク/Werner Herzog
エイリアン:ブラッド・ドゥーリフ/Brad Dourif as The Alien