アセンションという言葉は、まったくブームを過ぎたようだ。熱しやすく冷めやすいのは、世の常と言えるだろう。
でも、実際には、2012年の冬至あたりを境にして、いよいよアセンションが進行する段階に突入したのである。
もっとも、「アセンション」と言っても、その意味するところは千差万別。アセンションが大好きな人もいれば、聞いただけで怒り出す人もいるわけだが、たいていの場合、それぞれの念頭にある「アセンション」の内容が異なるので、話がカミ合っていない。
中には、「私はアセンション反対論者なのである」と言いつつ、語っている内容はアセンションそのものという人もいるから厄介だ。そういう人は、「アースチェンジ」とか、「シフトアップ」とか、何か別の用語を考えるべきだろう。もっとも、「アースチェンジ」のほうが、アセンションよりも、さらに古くて時代遅れかもしれないが・・・。
こればっかりは、無理にスリ合わせなくていい。それぞれがイメージする「アセンション」のままで十分。「アセンション」と聞いただけでブーブー文句を言い始める人にとっては、文句を言うことがアセンションなんだろう(笑)。
いまや、それが着実に進行している。
地球環境の変容は、加速している。加速すること自体が、アセンションだとも言える。
これからの地球の特徴は、「思ったことが現実になりやすくなる」ということ。
今までの地球だって、思ったことは現実化していた。カチコチに固い物質環境だけど、その本質は、やっぱり、意識を反映する鏡のような世界。あらゆるものが、意識によって影響を受け、変化するようにデキていることに変わりはない。
ただし、今までの地球では、意識が世界に反映されるスピードが、とても遅かった。昔は、もっと遅かった。大昔には、もっと、ずっと遅かった。
その一方で、人の一生は、とても短い。
「思考は現実化される」と言ったって、古い地球においては、そのスピードが、あまりにも遅かった。地球の物質環境にかかっている制限は、とても強力なものだった。だから、たいていの人々の人生においては、生きてる間に思いが現実化されなかったのだ・・・。
このため、事実上、この地球は、「思ったことが現実にならない世界なのです」と言っても、決して言いすぎではなかった。
でも、それが急速に変わってきている。時間が加速しているからだ。
意識の世界には、時間はない。何事も、思った瞬間に、パッと変わる。もともと、時間そのものがないから、時間差などというものも存在しない。
でも、物質の世界には、時間がある。ここでは、何事も変化するのに時間がかかる。そこが、意識の世界に比べて、物質の世界がカチコチに固まって見える原因。
そんな物質の世界でも、時間が加速するにつれて、あらゆるものが変化しやすくなり、だんだん、意識の世界に近づいてくる。
現在の状況が、まさしくそれ。
思ったことは、現実になりやすくなっている。シンクロニシティも、起きやすくなっている。筆者の周囲でも、知人から実にタイミングよく電話がかかってきて、助けられることが多くなってきた。
仕事も、だんだん、自分のやりたいことに近づいてきている。
もちろん、そうは言ったって、あいかわらず限界はある。「ボクは、プロ野球の選手になりたいな!?」などと言ってみたところで、実現する可能性はないと言わざるを得ない。でも、明らかに、可能な範囲が広がってきている。
これには個人差があり、とっくにビリビリとその変化を感じている人もいれば、「オレは相変わらずだよ。何事も、思い通りになりゃしねえ」という人もいるだろう。今は、そういう時期なのだ。
これが、アセンションにおける最大の変化と言ってよい。
それにしたって、この地球が、物質世界であることには変わりない。今までほど、ガチガチな世界ではなくなるというだけ。完全に、意識の世界、つまり、「あの世」になるわけではない。そこは、念頭に置くべきだろう。
つまり、これからも物質はあるし、時間もある。ただし、今までほどではなくなる。
「物質界は、意識界とは違うところなのだ」という、当たり前といえば当たり前のことを無視して、意識界にいるのと同じように考えようとするのが、少なからぬスピリチュアリストが陥りやすい落とし穴。
ここでは、「100%のスピリチュアリスト」の視点から物事を見ると、たいていのことを見誤るのである。
なぜなら、ここは物質の世界だからだ。
「100%のスピリチュアリスト」の発想が通用するのは、あの世、つまり、意識の世界の話。いくら意識化が進むといっても、ここが物質の世界であることに変わりはない。そこを忘れると、ピントがズレることになる。
なぜ、そういうことが分かるかというと、自分もかつては、そうだったからだ。当初は、この地球の物質世界を生きるのに必要なリアリストの観点が、まるっきり欠落していた。
それが、この地球で長く生きるにつれて、地球的なリアリストの見方を、徐々に身につけて慣れていった。カオスのような意識状態だった筆者が、なんだかんだ言いつつ、だんだん明晰なリアリストに変身していくのを見て、周囲の人もビックリ。
「昔はハチャメチャな人だったのに、なんか、見違えるようにシッカリした人になったねえ」と、他人からは、いつの時期にも言われたものだ。5年前にも、10年前にも、20年前にも、よくそう言われた。確かに、以前との比較だと、常にそうなのだろう。この調子なら、5年後や10年後には、いよいよ、「地に足がついた、社会に適合している人」という評価を受けるようになることだろう。
それが、「郷に入りては、郷にしたがえ」というものなのだ。地球の物質環境が、どれほど自分に合わないと感じたとしても、そこから逃げるよりは、時間はかかっても慣れるほうが望ましい。ほんとうに、時間はかかるのだが・・・。
ただし、どうしてもナジメないのなら、無理をする必要はない。どっちにしても、みんな、いずれは地球を去るんだから、ゴールは同じと言える。これは、「地球への興味と、根性があるのなら、やってみてもいいんじゃない?」というくらいの話。
でも、せっかく身につけたリアリストの発想を、これからは逆方向にシフトすべき時期になった。ある意味、残念だけど仕方がない。
今までは、「30%のスピリチュアリスト、70%のリアリスト」くらいだったのを、「50対50」くらいに調整する。最終的には、逆に「70対30」くらいのところまで持っていく。地球のほうが変化してきて、そうすべき時代になった。
それが、地球のアセンションに対する、ベストの対応と言えるだろう。
再び「100%のスピリチュアリスト」として生きるのは、地球を去ってからでいい・・・。
(続く)
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