ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

実年齢と精神年齢のギャップを考えた早朝

2014年02月06日 | えっせー
 生きている限り生物は歳をとり続けるごく当然で、それは神様が私達に唯一平等
に給えて下さったのが時間だ。自分なりその年代を受け止め、少しでも有意義に
生きて行くのが前向きな人生だと思う。
 私自身はいつも燃焼して生きてきたので、もしも神様が「もう一度希望する00歳
に戻してあげよう」と、おっしゃっても、絶対にお断りしたいと思う。
 今現在は、「これから私はどんな年の重ね方をするのかしら」と、ちょっと
期待感さえあるのは、生まれつきの脳天気のせいだろうか。
 自分の祖父母の記憶がまったくない私は、子供の頃からあまり老人を見たことがな
かったし、自分がこんな高齢になるまで生きているなんて、全然想像もできなかった。
 現在は年々寿命が長くなって、これからは高齢者ばかりになるのではとさえ感じるが
一体私も何歳まで生かされるのだろう?

 別に死にたい訳ではないし、やり残したことはまったくないので、もう十分生きた
と感じている。あまりにもメンタルな意味で元気で、そんな自分を時々持てあます
ことが多い。確かに記憶力が衰えたし、物忘れはするし、疲れやすくなったが、その
年齢を超えた、ときどき抑えきれない情動がわたしを困惑させる。
 感受性や情感が豊かなことは、物書きの私に有利な資質だが、でも他人より物事を
強く感じるため、心理カウンセラーとして、「感じても気にしない訓練」を身につけて
生きているつもりだが、決して楽でないことは事実だ。
 年齢相応の思慮分別も欠如しているし、以前友人に「まるで天使のように無邪気」と
評されたが、幼すぎで「バカじゃない」と多分他人に思われるのではないかと、時折
感じる位無邪気で脱常識な自分。
 これからもそれをズーッとセーブしながら生きるのは、ちょっと大変だなと思い
ながらも、迷惑をかけなければ良いと割り切ってはいるが…
 そうかと言って「00はこんなものだ」と割り切るのはいやだし、やっぱりワクワク
生きていたいから仕方がないのかも… あーあ、心だけもっと年をとれば良いになあ!

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