波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡   「誕生日」

2017-01-26 10:15:00 | Weblog
正月を迎えるといつも思い出すのは「元旦や明度のたびの一理塚目出たくもあり、めでたくも無し」という句だが、誕生日も同じような観想が起きる。しかし小さいころは外国人がするように
家庭で家族や友人を呼んでケーキを中心にプレゼント交換や楽しい時間を持ったものである。
しかし平均寿命を過ぎての誕生日はさすがに素直に喜んでるわけにもいかない。と言ってもこの日をおろそかにも出来ないのだ。本来バースデーは高齢になるほどにその意義が高まる事を知るべきだし大事である。しかし残念な事に高齢と共に病気、介護などの負荷があり、その負荷と共に誕生日が重荷になってしまうケースが多いからだ。
私も今日を持って82歳を迎えた。そして自分自身その重荷をしっかりと自覚するようになっている。父は94歳の生涯だったが、その直前まで遠く離れていた(岡山ー東京)息子を思い
毎週励ましと愛の手紙を送ってくれていた。そこには「信仰、希望、愛」その三つの言葉がかかれてそれが年齢を重ねるほどに意味深くわかるようになっていた。特に「愛」に突いて強い信念を持っていたようで、今も大事に持っている。
現在では男子の平均年齢が80歳を超えるようになり、自分もその一人になったと思うと同時にこの誕生日に新しい思いがよぎったのだ。それは80歳で一生が終わったと考えられると言う事だ。とすれば今の自分は「生まれたばかりの幼児」として考えてもよい。だとすればいままでのこの世において若気の至りで犯してきた多くの罪から開放されて純粋な「生まれ変わり」と考える事も許されるのか。とすれば無垢の状態で日々を過ごしていく必要がある。
二度と罪を犯さない人間として最後を迎える勤めがある。そんな考えが浮かんだ。
(しかし生きている限り罪を犯さないわけにはいかないが)
自己欲望、自己満足と自己中心的な考えではなく感謝と祝福、そして平安を望む日々を祈る
日々として過ごして生きたいものだと考えたのだ。
誕生日の過ごし方はそれぞれであろう。しかし静かにこんな思いで過ごす事も大事かなとふと思って次第である。