波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「もしも誰かに~」

2016-06-01 14:26:03 | Weblog
人は生きている限り、様々な不安と試練にさらされていきているものであるかもしれない。
ただ其のことにあまり気を使わないようにしているか、気づいていても自己中心的に自己主義を貫いて意識しないようにしているか、もしくわあきらめに似た境地にあるのかもしれない。
もしも誰かに「リストラ」と宣告されたとしたら(この言葉が何時から使われるようになったか知らないが)または「失業」を言い渡されたら誰でも致命的なダメージを受けることであろう。
もし私がこの言葉を何らかの形で受けたとしたどんなダメージを受けるだろうかとふと考えてしまった。おそらく想像のできない心の傷を受けることになるだろうと思うし、其のダメージはどんな影響をその人の人生に与えるだろうかと考えてしまった。
個人個人その影響は違うし対応も違うことだろう。またその人の個性や境遇にも寄ることだろう。その人の性格と精神力で一概には言えないところもあると思うが、其の損得も一様ではないだろう。望むべきは時間の経過で其の心の傷が少しづついえて精神力を回復してもらいたいものだと思う。しかし其のダメージの影響は男性と女性とでも受け止め方が違うだろうし、その人によっても違ってくる。自らを常に律して考え手人生を過ごしている人だとすれば、「何故、こんなことを言われたんだろうか。」と反省するだろうし、其の自制力が強い人ほど、其のダメージは強く残るのだろうと考えられる。
「相手の人のことを考えいたことが、何故伝わらなかったのか」と思うこともあるだろう。
そんな意味では繊細な神経の持ち主ほどダメージが残る気がしてならない。
私自身が人に対してそんな言動を持って人を傷つけていないとはいえないだけに自分自身としても誰のことに対しても責任とその影響を考えざるを得ないのだ。
「隣人を愛せよ」とは聖書が一番強調している言葉であるが、こんなときこそ深く教えられる気がしている。そして少しでも其の言葉に応えられる人間になりたいと思わされている。