波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

個室    第11回

2016-06-04 10:29:26 | Weblog
時子は葬儀を迎えるために精一杯の事を気力で進めていた。まだ小学生になったばかりの二人の娘は父親の死を現実には受け止められず、知らない人の出入りを珍しそうに見ていた。
会社からは彼のいた部署のメンバーが数名其の葬儀のために派遣されていた。挨拶に来る会社関係の人への配慮であり、挨拶でもあった。
家族としては親戚関係と地元の人たちへの挨拶と応対で手分けされていた。
既に退職して会社は離れていたが、木村は葬儀に駆けつけていた。全く知らなかった事だったが
嘗ての部下が岡山から知らせてくれたのである。「詳しい事情は分からないのですが、亡くなったとのことで葬儀が7月1日に行われるそうです。」とあった。
其の知らせを聞いたときは、ただ呆然としてすぐには信じられなかった。嘘だろう。そんなはずはない。会社を辞めるときにも「私も定年が来年で間もなくです。暇になったらまた昔のようにゴルフをしたいものですね」と話していた言葉が蘇ってくる。あれほどゴルフを楽しみにして
酒を愛していた男が突然死んだと聞かされても納得もいかなかった。
「何があったのか、聞いているの」と電話口で聞くと「東京の本社の仕事中で昼過ぎに急に
気分が悪くなってトイレに言ったらしいんですが、それからの事がわからないのです。
東京の関係者に聞いても一様に何も分かりません。知りませんの一点張りで説明してくれないので詳しい事は分からないのです。」と言っていた。
葬儀の当日、暑い日で汗をかきながら駆けつけたが、誰に話しかけても誰も口を利くものはなく、嘗て同僚として一緒に仕事をしていたスタッフも一切無言であった。
結局何も分からず、木村は遺影を前で嘗てともに寝食をともにして仕事をしてきた感謝とお別れの挨拶を心の中でつぶやいて帰るしかなかったのである。
それは今までにない寂しい時間であり、長い時間でもあった。