波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

   思い付くままに   「読書の秋を思う」

2013-11-26 09:30:23 | Weblog
何度も言い古された言葉だが、やっぱり秋になると思い起こす。一体「本を読む」という
時間を最近の人はどの程度持っているのだろうと考えてしまう。昨今の電子機器の向上によってすべての情報を含め音楽、書籍も全てが吸収できるから、文字離れは進み、映像を中心にしたもので済まされてしまう。先日の新聞にある調査で子供を対象に視聴時間を
「見ない」から「4時間以上」まで段階別にして調べたところ長時間見た子供ほど脳の
成長が遅いということが分かったと出ていたが、大人はともかく子供の思考能力は過剰な情報を吸収することで「金属疲労」的な現象をもたらしているのではないかと心配になる。あるおばあちゃんが「私はね。隣の爺さんがこの高級TVを盗みに来ないかと心配でね、一日TVの前で番をしているのさ」と笑えない冗談を言っているのを聞いたことがあるが、高齢者は仕方がないと思う。
読書も「くせ」「習慣」的なものかもしれない。例えば推理小説や人物本などのように
読んでいるうちにどうしても結論を得たいと思う気持ちで日々ページをめくる習慣をつけてしまう。そしてそこに新しい興味と目的を見出す事が出来れば良いのだ。すると
本を読むことで自分自身の考えが生まれてくる。新しく生まれた考えは何かを想像していくことになる。本を読むたびにこの繰り返しが重なっていく。これこそが読書のメリット
ではないだろうか。日々の生活習慣が「受動態=TV」ではなく、自ら動き、自ら創り
自ら生み出すという能動態へと変わることが大事なのだと思っている。(自戒を込めて)
急に気温が下がり冷え込んできた。そして自分の肉体の弱っていることに気付かされる。しかしこの季節の変化も大切であり、「気付き」の大きなポイントである。
脳梗塞なども初期の「気付き」が最も大切で、その時の手当て次第で後に大きく違ってくるとあった。
寒い夜長の時を読書で過ごす。テーブルには温かい「ココア」が白い湯気を上げている。
傍に置いてあるCDからは好きなクラシックが流れている。
そんな映画の一シーンのような風景を想像してみるのも一興だと思うのだが?