波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思い付くままに   「秋来る」

2013-11-19 09:14:40 | Weblog
台風シーズンが終わり、猫の額ほどの我が家の庭にも秋が来た。夏の間辺りを覆うほど伸びていた枝葉やつたを切り落とし枯葉を集め来年の腐葉土の代わりにする。こんな小さな作業をしながら秋を実感するのだ。自然の気温も急に変化し、先週は寒気の襲来で気温もぐっと下がる(最高13度)こうした変化を体で感じながら日本の四季を改めて覚えることが出来るのがうれしい。世界の国々においてこれほど四季の変化を覚えられる国はそうないのではなかろうか。そしてこの変化が日本と言う国の文化と歴史を積み上げる大きな影響をもたらしていることは否めないと思う。
枯葉の片付けの終わった後、来年の春のためにいくつかの球根(水仙、チューリップ、ユリ)を植え春を待つ楽しみを持つのもこの時期良いものである。
さて、友人であり、知人でもある「術後所感」の当人が先日退院してきた。夏から秋へかけて入退院を繰り返していたが、久しぶりの帰宅である。これから以前のように交わりを再開できるかと思っていたのだが、当人から「膀胱がん」であったと言われて、大きなショックを受けることになった。腰の痛みが取れないというのも、食欲が元の通りに回復しないのも、体力が戻らないのも全てがそこにあったようだ。夏の胃がん手術も基はその
膀胱がんからの転移かも知れないと考えられる。
当人の気持ちはどれほどのものか慰めの言葉もなく、心を痛めているところだが、
人は全ていずれ「土に還る」そのことはそれぞれが覚悟しているとはいえ、いざその時を知らされ、知るときには大きな覚悟が必要であろう。それは肉体的な痛み、苦しみと共に
家族他この世との決別を意味しているからだ。
望ましいことは生まれた時と同じように死に直面しても自然体で無意識のままでこの地上での生活を終えることを願う。
その為にも日々の生活をその日を迎えるに相応しい日々とすることが大切になる。
先週、このブログで「一日一生」を座右の言葉としたいと書いたが、改めて考えさせられる所以である
また、秋は「収穫の時」ともされる。今年自分にとってどんな収穫があったろうか。
先ずは「健康」であろうか。年々弱りゆく肉体をどのように良い状態で保持するかは大きな課題である。食事、睡眠、エクササイズ、などを考えたりしながら何とか過ごしてきた。後は家族の平安であろうか。
「無事これ名馬」こそが当たっている気がいしている。