波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

波紋    第90回

2009-05-08 10:00:19 | Weblog
少し迷ったが、本当のことを言うことにした。
「ママさん、松山と言うお客さんのこと覚えている。」「えー、知ってるわよ。最近見えないけど」「彼が、亡くなったんだよ。」「そんな、とても元気だったじゃないの。」「それが急病でね。私は彼の友人で、この店のことも彼から聞いていたので、今日墓参りの後、立ち寄ったのですよ。」「そうだったんですか。分らないものね。この間まで元気でここでおいしそうに飲んでいたのに。不思議な気がするわ。」「ママさん、彼の供養だと思って一杯飲んでくれませんか。」小林はビールを開けてコップに注いだ。そして二人は黙って乾杯をした。
暫くそのまま沈黙が続いた。お客が2、3人入ってきて、ママも忙しくなってきた。小林は水のように薄くなっているウーロン杯を少しづつ飲みながら、ぼんやりと自分の歩いてきた道を考えていた。
人間の一生って何だろう。良く本には自分のしたいことを一生かけて燃えつくし、したいことをすることが一番良いと読んだ事がある。だけど誰もがそんな人生を過ごすことは出来ないだろう。松山はその途中半ばでの終局だった。
だとすれば、どうあればよいのだろう。全部を燃えつかすのではなく、いくらかの部分を自制して、し残してそれなりの満足をしながらそれなりの悔しさとを感じながら死ぬのが良いのかもしれない。やりたいこと、こうなればよかったと思うこと
将来自分はこうありたいと思ったこと、自分の人生をそのように他に移し変えて考えてきたのだが、今はそんな思いはなくなってきた。
私は私で、これで良しと思うことが大事だと言うことだ。そして与えられた今の条件を最大限に活用して、それを受け止め、あらゆる角度から文字通り、満足できる状態で生きることが大切だと思わなくてはならないんだ。
小林はいつの間にか自分の世界に入っていた。「これおいしいわよ。食べてみて、今日作ってきたの。」突然ママの大きな声で我に返った。
そこには暖かい、野菜の煮物が置かれていた。二杯目のウーロン杯で、少し酔いの廻った気がして、食べるものはとてもおいしい。そろそろ限界を覚え、「お勘定お願いします。よろしく。」店を出ると、涼しい風が気持ちよかった。
ホームに立って電車を待つ。そんないつもと変わらない風景が今日は新鮮に見えた。この時間、この時をどのように受け止め、どのように感じるかで人生は変わる。其処に何かの風情を感じる時無味なものから、意味のあるものに変わる。
それが大事なんだ。