波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

            オヨナさんと私   第56回  

2010-01-08 10:14:47 | Weblog
その女の子の優しい気持ちが分り、オヨナさんはホッとした。そうだったのか。この子は自分の書いた交換日記を母に読まれて、素直に話が出来なくなってしまったけど、本当は前のように話が出来るようになりたかったんだ。だけど、どうして良いか分らなくなって、そんな気持ちで話しかけてきたんだ。「何も心配することはないよ。君は今までどおりにしていればいいんだ。書くことも止めることも無いんだ。ただ、書く内容を少し変えてみようよ。例えばその友達に書くとして今日の洋服とても可愛いよとか、いつものコンビニに新しいスナックが入ったよ。とても美味しいから食べてみたらとか、知っていることを教えてあげたり、よい所を見つけてほめてあげるとか、……お母さんのことは何も気にしなくても、その内いつもどおりに話が出来るようになるよ。」「そうかなあ。心配なんだけど大丈夫かな」「君は書くことがすきなんだから、今度どこかへ行くことがあったらそのことを詳しく書くといいね。うまく書こうと思わないで思ったとおり書けばいいんだ。」
スケッチに描かれた伊豆の海は二人の姿を夕陽が暖かく包みこんでいた。オヨナさんは満足そうに立ち上がり、民宿に向かった。夕食の「金目鯛」の煮つけが今日の楽しみだった。
それにつけても自分が小さい時、親とどんな会話をしていただろうか。不図、遠い昔を思い出していた。オヨナさんの育った頃は戦後ではあったが、今のような時代ではなかった。学校の教育も親の指導も違っていた。だから親や先生は「恐い」と言うイメージだった。だから生活の中に一つの規律のようなものがあったそれが大人になっても残っていて、言葉にも行動にも反映してくる。何が良くて、何が悪いことか、自分はどうしなければいけないか、そんなことが無意識に身についていたような気がする。しかし、今日のこどものように、今の子供たちはどうなのだろう。確かに親や、先生に畏敬の念はもっているだろう。
だけど、大事な問題に直面した時に、どのように対処できるだろうか。今日の場合のように、どうしたらよいのか分らないようにならないか。親のほうも、注意しなければと思いつつ、煩わしさを避けるように言わないまま様子を見ることになってしまう。それは問題の解決にはなっていない。そして場合によっては子供が横道にそれることになることも出てくるかもしれない。
温泉の暖かさは布団の中に何時までも残り、何時の間にか眠りの中に包まれていた。

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