波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「一人暮らし」

2016-09-05 09:56:33 | Weblog
現代は昔のような家族主義は少なくなり、家庭はあってもその実態は個々の生活であり、顔をあわせて心から話し合うとか、相談するとか、語り合う時間は殆どないようである。例えばその最も根幹である「夫婦」であってもよほど必要な要件でもなければ語り合う事はすくなくなっているようである。「夫婦」家庭の最も自然で厳粛なつながりできた絆であるはずだが、それとても
必要なときだけの関係になりつつあるような気がしている。
それは他人事ではない。私自身を振り返ってみても他人のような夫婦であった事を反省せざるを得ない。私は仕事人間で現役で仕事をしているときは定時で帰宅する事はなく、その日の内に変えればよいほうで、いわゆる「午前様」族であった。従って夫婦の会話をする字関門もなければ子供様子を聞く事もなかった。せいぜい休みの日に子供遊び相手になるか、どこかへ連れて行くぐらいが関の山でそれもおざなりである。
妻は大きなストレスを抱えていた事であろう。そして50歳になるころ、「アルツハイマー病」を
発症し突然発作症状が続くようになり、そのたびに救急車で病院で手当てを受けモルヒネを打ち発作を抑え副作用の影響もあり、寝たきりの状態になってしまった。
数年の療養の可否もなく、53歳の若さでなくなったのである。
自分の大きな罪の結果が招いたことで、それからと言うものは「贖罪」の念が頭を離れず再婚はおろか、人を愛する資格がない事を重い、『一人暮らし」を原点に30年を過ぎしてきた。
聖書にも「未婚者とやもめにいいますが皆私と同じように一人でいるのが良いでしょう」とありますが、この意味は別の意味もあると思いますが、何もなければ自然のままに生きる事をすすめているのでしょう。敢えて言えば私の場合は最初の離婚後の結婚も一考すべきだったかもしれないと考えられますが、全ては神の御心のままにしたがって生きてきたのです。

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