今、私の机の上に4冊のノートがある。今年一年の日記だ。その1ページずつをめくりながら静かにこの一年を思い返している。人は年齢とともにその日のことを忘れて過ごしていくが、日記を見ることによって、その時々の出来事や忘れていたことを思い出すことができる。そしてそこから感謝と反省が生まれてくる。今年はそんな意味では様々なことで大きな変化があった。一つは7月から始めた作業である。自分が老年で何もできないと思い込んでいたが、まだ出来ることがあることを再確認できたこと、そしてそこから新しい自信と勇気を与えられたことだ。勿論そこには「一人KY」の注意が大切だがそれは同時並行的に守られている。その前に一年間健康に恵まれて過ごすことができたことが感謝である。そして家族の一人一人が、成長を知らせてくれたこともある。息子、娘そして孫とそれぞれに成長してそれが行動や言葉に生かされていることを確認出来ることが嬉しい。何もできなくても子供は親の責任にあることが頭を離れない。子供の言動で自分の果たしてきた責任が問われていると思わざるを得ない。普段会うことも話すことはなくても時折かかってくる電話の言葉や出来事でそれは感じることはできる。そしてそこから心の平安を得ることができるのだ。年々神の身許に近くなることを願うようになり、今の自分が「生きている」意識から「生かされている」意識に変わりつつある。そこから現在の自分の置かれているふ意味が分かってくる。一日をどのように生きるか、無駄のないように大切な時間としてどのように過ごすか、それが一日の課題となる。現在は情報の時代である。TVを通じて知らされる世界の情勢や日本の置かれた状況も詳しくわかる状態だ。不思議なものでTVの番組も見るものが昔とすっかり変わっている。スポーツ番組を除けばあとは世界のあちこちを紹介するものに惹かれている。そして世界が一つであり、日本人であることの幸せを細やかに感じている。年々正月感も遠くなりつつあるが、元気で新しい年を迎えられそうだ。来年もより一層それなりに成長出来たら真の「平安」に近づけると思いながら今年を感謝しつつ過ごしたい。
最新の画像[もっと見る]
- 思いつくままに 「言葉の重み」 7年前
- 思いつくままに 「新しい年に思う」 10年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます