波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

「訃報の知らせ」

2018-11-12 10:20:42 | Weblog
11月に入り、今年も年賀状の季節が近くなったことを思う頃、毎年訃報のはがきを何枚か受け取ることになる。その知らせを受けると今年もまた年賀状が出せなくなり、亡くなった人のことを思い、寂しくまた懐かしく昔を思い出すことになる。そして年々年賀状の準備が減っていることを確認することになる。最近は訃報も家族でひそやかに行うようになり、(町内でも公示しなくなっている)そのために知らないままで過ぎてしまい、又葬儀の知らせがあっても高齢のため遠隔地ではゆくこともままならないこともあり、公的な著名人でない限り、家族での密葬が多くなっているようである。
嘗ては葬儀は大事な人生の行事であり、その行事に参加することが大事な礼儀として行われていたが、最近では高齢者の立場を慮ってか、「無理をしないように」気遣いのうちに終わることが多くなっている。そしてそのことが世間体も気にしなくてもよい時代になりつつあるようである。
こうして過去を振り返り、思い出すとどんなに親しく、また交わりが深くてもその時間が過ぎると誰にも知らられずに消えてしまうことになる。あれほどの人間関係はどこに消えてしまったのかと思えるほどである。そして築かれてきた交わりの最後も、誰にも知られないままに終わってしまうのだ。
そんなことを考えていると、この世に存在して生きていることの時間は貴重であり、「その瞬間」「その時間」は再び、三度あるものと考えてはいけないような気がしてきた。つまり、人との交わりはその時間、その瞬間が最後だと(つまりこの時間はもう二度とこないと思う。)思いつつ過ごさなければいけないような気がしてきた。つまり軽く「じゃ、またね。」というものではないのだ。もしかしたらこれが最後になるかもしれないと思うほどに大切に過ごしていくことが大事なのではないかと考えるべきではないかと思うのだ。
そう考えると、その人との別れの時に「借りていたものはなかったか。言い残したことはないか。」「お世話になったお礼はしたか:」その都度感謝と
お礼をする気持ちで明るい顔でお別れしよう。「この次で良い」と思わず、気が付いたことはその時しておこうという心がけを持とう。
そんな心がけを大事にしたいと思えるのだ。
今年も年賀状を準備する季節がやってくる。一人一人の顔を思い浮かべ、感謝と今までの交わりの礼儀を込めて準備をしたいものである。