波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに    「善意を果たす難しさ」

2017-05-25 09:57:28 | Weblog
ある旅人が山中で強盗にあった。怪我して動けないで苦しんでいる姿を見て通りかかった三人の人、一人は同民族の祭司と呼ばれる共用のある人であった。もう一人は同族の親しい人であり、最後に通りかかったのは異民族のサマリヤ人であった。最初の二人は旅人を見て、見ない振りをして、反対側を通り過ぎ最後のサマリヤ人は普段は嫌われ、話もしたこともない旅人の怪我を見て、すぐ助けると手当てをして休ませ「自分は用事があってそばにいることはできないがこのお金でけが人の面倒を見てくれ」と宿の人に頼み、金を預けて立ち去ったという。聖書に出てくる有名な話であるが、私は善意を行うことの難しさは何千年も前も今も変わらないことを知らされている。
ある日隣町へ出かけた帰り駅まで帰ってくると駅前に10人ほどの人が募金運動をしていた。見ると「ユニセフ」の運動をしていた。
私は通りかかり、いつものように通り過ぎようとしたが、ふとテレビに出ている黒人の幼子のさびしげな顔が思い浮かんだ。そしてあわてて引き翔り、暑い中汗をいっぱいかいてがんばっていた小学生の女の子の募金箱にわずかなお金を入れることができた。
たった、是だけのことである。しかし人間は不思議に「しなければならない」ことであり、「やるべきこと」を意外とできないでいることが多い。むしろためらうことが多いのだ。そうでなければある種のグループでひとつの目的意識の中で行うこともある。
しかし小さい善意で誰にも気づかれないようにそっとその善意を行うことにはかなりの勇気がいるのではないだろうか。
しかし本当の善意はそんな隠れた小さいところにあるのだ。だが一人で誰も見ていないところで「大丈夫ですか」と声をかけることも
意外と蒸すかしいのだ。私自身も町を歩いていてめまいをして倒れ、エスカレーターから転げ落ちたことがあったが、大勢の通行人の中で一人婦人が声をかけてくれて一緒に薬屋さんまでついていってくれたことを思い出して今でも忘れられないでいる。
小さな善意を行うことは毎日、どこでも、いつでもある。ただ気づかず、しないことが多いことをもう一度反省をこめて
考えてみたいと思う。