波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「この先のこと」

2017-05-11 09:07:24 | Weblog
最近身の回りの交わりを持ってきた人が亡くなったり、病気になったり(認知症)になったりして昔の元気なころの話をすることができなくってきた。こんな話を聞いているといやおうなく「次は君のばんだよ」といわれている気がして他人事には思えない。第一昔の話をして懐かしく昔を語ることはできなくなっているのだ。
しかし不思議なことにこのような状況におかれると「今あなたはこのことをしなければならないんだよ。何もしなくてもいいといいということではないのだよ」という声も聞こえてくるのだ。のんびりと順番を待ってればよいのかとおもうことまるし、体も弱っている当然それでよいのだと思うのも当たり前かもしれない。しかし、私にはまだまだ大きな役目があるのだ。それは今までの人生における負い目のおんがえしもあるし、金銭的にも返却しなければいけないぎむもある。それよりも何よりも自分の家族の健康と平安のことである。
もちろん私の力でどうすることもできるものではない。(自分のことさえどうすることもできないくらいなのだから)
不思議なものでそんな状態でも頭にあることは家族のことばかりで、(逆に言えば家族だけが順調ならそれでよいのか?)ということにもなるが、自然とそう考えてしまう。キリストは「私の家族とは誰か?」と世界の人を救うことを考えていたが、小さな人間としてはこの程度のことしか考えられない。それでも日々さまざまな問題があり、自分なりにできること、考えられること、があたまをはなれないものである。人間は所詮所詮死ぬまでそんな重荷を負って生きていくものかもしれない。
それは生きている限り自分に化せられた勤めであり、役目でもあるとも考えられる。そして及ばずながらできることをはたして少しでも
自分の役目を話してこの世を去りたいとの思いが潜在的に働くのだろうか。
そんなわけで今日も出かけていって話し合いの時間を持つ予定である。それは自分ができる最後の役目だと謙虚な思い出の行動である。
もちろん自分の思い通りするとか、なるとかということではない。ただ自分の役目として離しておきたいと考えているだけのことである。そして今日一日が終わるのだ。