波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

足跡    「自分でできること」

2017-05-22 09:17:07 | Weblog
 いつの間にか私は人生を80有余年もすごしてきてしまった。今その足跡を振り返るとたどたどしくあちらこちらと乱れ、飛び散っていることがわかる。あるときはまっすぐ歩いているかと思うと、急に立ち止まったりあらぬ方向へ歩き出していたり、正しく規則正しく歩いてきたとはいえないものである。
しかし不思議にも私の足跡は一人分ではなかった。いつもなぜか二人の足跡が一緒についていた。それはなぜなのか、誰のものかわからない。今此処で立ち止まってかんがえてみると、自分の歩いてきた道は自分意思で自分の思い、願いで勝手気ままに歩いてきたとおもっていたが、果たしてそうだったのだろうか。自分の歩いてきた道は自分が歩きたいと願い、磁部うが歩こうとしたとおりに歩くことができたのであろうか。
この年齢になってやっと何かがわかってきたような気がする。それは自分が自分の思い通りに歩いてきたと思っていたことが、果たして園とおりの道だったのだろうか。結果的には自分の願っていた道とは異なる、否、自分の願いや希望とは違った道に踏み迷っているような
道ではなかったか。自分の願っていた道のような気がしたときもあったが、願わない道に踏み迷うことも多かった。
そんな思いである。
つまり人生におけるすべてのことは自分で決めて自分の考えや思い通りに歩いてきたと思っているが、そうではないことがわかった機がしている。いやそれも自分の意思で歩いてきたことだという考えもあるかもしれない。
しかしすべてのことが自分の考えどおりになることは、あるいは自分の錯覚なのかもしれない。見えない大きな力によって歩かされるというか、歩いているだけかもしれない。
これからも歩き続けることだろう。しかしやっと自分は自分だけで歩いているのではないことに気がついた。つまり目に見えない大きな力のある方とともに歩いていることがわかった気がしている。
とすれば自分は一人ではない。心強い気持ちで歩くことができる。と同時に困ったときは「同行」の方に聞くこともできる。
そしてできるだけ間違わないで踏み外さないで正しい道を歩くことができるかもしれない。残り少ない道のりである。
できるだけ正しく歩いて「備えられた部屋」へ行けることを願っている。