波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「喜びを分ち合う」

2016-09-21 10:45:48 | Weblog
毎日の暮らしの中で色々な話が耳に入ってくる。そんな中で自分に関係のない事や周りの人の
うれしそうな話や喜びの話を聞くと、何となく違和感のような自分には関係ないというような羨望に似た気持ちになり、自分も喜ぶと言う気持ちになれない事がある。
つまりそれはその人と自分を比べる事から始まる不幸かもしれない。何故そのとき自分も「良かったな」と喜ぶ事ができなかったかと思うのである。
それはその人がある不幸であったり、苦しみであったりすると何故か自分が当事者でない事に
優越感のようなものを、何故かほっとすると同時に自分はそんな目にあうことはないと自信と
上から目線のような感じになる。つまり「人の不幸」を喜ぶような気持ちが生まれる。
こんな事を感じた事はないでしょうか。
当事者でない限りそのことについて、それが幸であろうが、不幸であろうが関係はないかもしれない。しかしそれらの全ての事は他人事ではないのである。いつかは自分も同じような事の中で悩む事があることを知らなければならないし、人生においては必ず同じ運命の中にあることを知らなければならない。
最近、老人会の一人が腰の手術をしたがその話を聞いて「毎日痛くて夜も眠れない」ときいていた。何かすることが出来ないかと不図考えて、少しでも気持ちが和らぐようにと僅かな果物を差し上げたのだが、慰めになったかどうか。ただ、その人の痛みが自分の痛みにかんじることが
出来たような気がした。人はそれぞれが苦難をおって生きている。
そんな「負い目」を知ったら、自分で出来ることを分け合う事ができるようになりたい。
勿論「喜びの出来事」であれば共に「喜び合う」ことができる人間にすこしでもなりたいと
最近つくづく思い始めている。