波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに    「誕生日」

2015-01-27 13:32:40 | Weblog
今年の誕生日を迎えた、「卒寿」と呼ばれる年齢である。ここまでくると迎えたではなく、文字通り迎えることが出来たとなる。日本人成人男性の平均寿命が「80歳」と
言われているのだから、平均を超すことが出来たと言うことは生命力があると言うか、
運が良かったとすべきか、いずれにしても平均を超したということは大変なことだと思わざるを得ない。誕生日の思いは年齢とともに変わってきた。小さいときは「バースデーパーテー」として賑やかに楽しんでしかも成長を待ち遠しく思って将来を夢見たことであった。しかしこの感慨も年齢とともに次第に変わり、いつの間にか誕生日が「冥土の旅の一里塚」な存在にしか思えない様になり、年をとるごとに感謝の念が強くなる。
その現実としていつの間にか私を囲む両親、兄弟、友人、知人が毎年のようにこの世に存在しなくなることである。この事実をどう受け止めるべきか。
80年を振り返るとき、様々なことが蘇る。その間には生命の危険を感じたことも数回あった。確かに人生はその意味では「自分の意のままになるものではない」ことを思い知らされたし、何時までも同じ状態ではありえない。それだけにその時、その状態を喜びと感謝と平安「シャローム」として生きることが望ましいのだ。いか
然しそれだからと言って悲観することでもない。すべては生きている限り神が与える大きな賜物であり、恵みである。そして「一日一生」でもあるのだ。
とすればこれからの時間は今まで以上に貴重であり、無駄には出来ないと自覚すべきであろう。私の知人が「肺がん」の宣告を受け「告知」を受けたとき、残された時間をどう過ごすかと考えて、酸素ボンベを手に遠くチリーにいる友人に別れを告げる手紙を託すために病院を抜けてその手紙を知人に託した事を聞いたことがある。
人は各々この世における大きな務めを負って生きている。その事をしっかりと自覚しその任務のために自分が何が出来るか、何をしなければいけないかを真剣に考えて、その意識と自覚を忘れないことが大切だと考えている。
そのためには自分のおかれた環境や立場がどうであろうと、生きているものの務めである。無駄なことはひとつも無く、全てのことに意義と目的があることをしっかり把握し、
時間を大切にしたいと考えている。