波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「自分の分別に頼らない。」

2015-01-20 09:34:56 | Weblog
昨年のクリスマスに失神で倒れてから約一ヶ月を迎える。身体的には眼窩骨折以外には
異常はなかったのだが、やはり不安があり、出来るだけ外出を避けて用心をしている。
幸い日々の生活では変化は無く普段の自分を取り戻しつつある。
しかし、こうして時間が過ぎて冷静にものが考えられるようになると、いかに自分が弱いものであり、何も自分の思うように出来ない存在なのだということをしみじみと気づくようになる。若いときには多少の権限、経済力を持ち人生を歩いていたときは何となく
「自分力」を感じて何事も自分で思うことが出来、自分のすることが正しいのだと思い込み、他のことは考えることは無かった。しかし「果たして全てのことが自分力で出来ていたのか?」と言うことである。仮に数分の時間であってもその失神時に起きた全てのことが記憶が無いのである。それはそのまま死亡となっていても不思議は無いことである。
また、記憶が戻ったとしても後遺症その他の障害があっても仕方が無いはずであり、それらは自分の力ではどうすることも出来なかったことだ。ましてこれからも絶対自信を持って健康管理が出来ると言う保障も自信もない。極論すれば「何時、何処で何が起きても不思議ではないし、又それを自分の意のままにすることは出来ないのである。それがこの世における私たちの生活なのだ」人は自分に何らかの力を過信しその過信はその言動に表されるものだ。しかし、それらはある意味、錯覚に近いものであり、全ては目に見えない大きな力によって動かされているのだと言うことに気づくべきなのである。
偶々自分がしていることが自分の力で出来ているように感じるだけであって、その背後には大きな力(神)の力によって生かされていることを知らされるのである。
そしてそのことに気づかされ知るときに人は「謙虚」と「忍耐」を知るのである。
このことを人は知るか知らないか各々の人生であるが、その中で人生を歩いているのである。人はどんな生活をしていても皆同じであり所詮は弱い存在であるし、そのことは変わりは無いのである。それだからこそ「自分の分別に頼ることなく、謙虚であるべきであるし、無事で平安であることが自分の力ではないことを知るべきだと思っている。