波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

コンドルは飛んだ  第34回

2013-01-11 10:33:06 | Weblog
着任以来の業績はその時代背景もあり(成長期に入っていた。)順調に伸びていた。特に新しく始めた磁性材料はモーター生産に寄与することもあって時流に乗り、供給に追われるほどの生産になり、そのために新工場を増設するほどであったことは辰夫にとっても
幸運だったと言える。
毎月上京しての関係会社関連の報告も肩身の狭い思いをしないでいることができた。
帰郷すれば自宅へ帰り数日を自宅で過ごすのだが、子供たちとの関係は昔のままだった。娘はいつの間にか銀行関係の男性と付き合うようになっていたと思ったら、あっという間に結婚式を挙げ親はその席に座っただけでなにもすることがなかったし、特別なセレモニーもなかった。息子も学校(大学)を卒業すると自分で仕事を見つけて独立して
通勤していたし、父親との関係は家族的な触れ合いのないままだった。ただ久子だけが献身的に世話をしていたが、それは結婚依頼変わらない姿勢であった。辰夫はそんなときにもアルゼンチンに住んでいるカミラたちのことを忘れたことはなかった。毎月の送金はもちろん、手紙に書かれた日本の生活物資なども久子が用意してそれを送ることもあった。皮肉のひとつもあるかと思うときもあったが久子の姿勢は変わらず、女らしい心遣いが其処にはこめられていた。
東京での仕事中は自宅から通勤できることでなんとなく岡山とは違った心の癒しがあったが、それもほんのわずかな時間であり、再び岡山での生活に戻ることになる。
その頃岡山では東京、大阪を含めた全体会議で一つの大きな提案事項が持ち上がっていた。それは磁性材料の販売先の客先が日本から東南アジアの国々へ進出するという現象である。日本の人件費の高騰、人材不足を海外で満たし生産量を上げつつ、利益率も高めるということで業種を問わず日本離れが進んでいたが、その影響が自社にも及びつつあったのである。
その日は管理職を含めた普段より大勢の集まった会議であった。テーマは「海外進出について」であり、そこではかなり活発な意見が出ていた。
そのうち、次第に賛成派と反対派がはっきりと分かれてきた。辰夫は黙ってみんなの意見を聞いていたが、反対を唱える一人に財務を担当する藤江の部下のものであった。
彼の意見は「時期尚早である。当社はまだそれだけの財力はなく、まだむりである」と主張した。確かにそれには一理あり、決して間違っているとは思わないと辰夫は思いつつその場の様子を注意していた。