波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ  第27回

2012-11-24 10:26:16 | Weblog
ボリビアへ帰任して仕事に戻ったが、あの日息子の言った言葉が頭を離れなかった。幼いまだ何もよく分からないとはいえ、「小父さん」と呼ばれたショックは子供の気持ちを分かる前に大きかった。物心つかないときに日本に居たときにもそばで遊んでやることもままならなかったし、まして海外へ出てからは姿を見ることもない。確かに血はつながっているとはいえ、コミニュケーションは取れなかった。それは誰の責任でもないことだと分かりながら、ただひたすらに悲しかった。
何か良い方法はないかと思いつつも、彼が成長して大人になったときに理解されるのを待つしかないのかと考えざるを得なかった。
ボリビアでの仕事はあまり長引くとは思っていなかったが、辰夫が考えていた以上に時間がかかっていた。時間の過ぎるのは早いものですでに5年以上が経過していた。
日本への帰国は年に一度の頻度で相変わらず、帰国しても家族との接触は深くなることはなかった。辰夫はあまりそのことにこだわらずに過ごした。
ラパスでのカミラとの生活はその後ずっと続いていた。病気以来健康に自信がなくなったことと家庭の団欒をかねた時間は辰夫にストレスを起こさせないで仕事がスムーズに出来ることで安心であった。それは自然であり、全てに平安だったのである。
カミラのことは久子には帰国したとき、包み隠さず話していた。病気のときに看病してもらって助かったこと、暴漢の襲来を避けて危険を免れたことそして仕事の休みのときは
一緒に暮らしていること、不器用な辰夫にはそれを隠したり繕うようなことは出来なかったし、子供のように天真爛漫だった。久子はそれを聞いてもカミラの事に深く触れることはなかった。女としての情感からすれば、嫉妬らしきものが伺えるはずだが辰夫との間でそれを感じさせるものは何もなかった。それはないとも思えなかったが、少なくとも
二人の間では今までどおりの関係であった。
任地への出発が近くなると久子は必ず「カミラさんにもお土産を持って帰って」と女らしいこまごまとしたものを取り寄せて辰夫に託していた。辰夫もまた何の気兼ねもなくそれを持って帰るのである。
事業閉鎖の手続きは次第に進んでいた。それぞれに別の仕事を斡旋し、鉱山の現場の施設は少しづつ終了していた。心配していた暴動も保障の話が出来て収まっていた。
辰夫の説得力のある話が彼らの心を動かしていたことは間違いなかった。