波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

 コンドルは飛んだ  第26回

2012-11-17 08:55:38 | Weblog
暫くぶりの会社への訪問は何となく外部からの訪問者の感じで、ここが自分の会社だという親近感がすぐには出てこない。受付を通じて役員室へ通される。会長、社長室は特別な個室だが専務以下他の役員は大部屋に会している。
辰夫がそこへ入るなり、一斉に視線が集まったが、そこにはそれほどの感情の変化はなかった。常務に促されて応接室で二人だけになると、常務は辰夫に近づき大きな手でぐっとその手で辰夫の手を力強く握り締め「お疲れ様。大変苦労をかけて申し訳ない」と短いながら暖かい言葉をかけた。その言葉に彼の誠意を知り、辰夫は嬉しかった。
本来「男意気に感じる」という江戸っ子堅気の辰夫にとって、多くのじゃれ言葉よりも
真実の心意気を覚えることが出来れば満足だったし、苦労も報われる思いだったのだ。
それから二人は時間を忘れて話し続けた。特に病気になり、満足な治療も得られない所で
何とか健康を取り戻したこと、暴漢に襲われそうになり親切な女性の計らいで無事に安全に危険を避けることが出来たことなどを聞きながら、常務は「良かった。良かった」と
大きく頷いていた。昼食をはさみ、コーヒーを飲みながら延々と話は続いていた。
秘書の女性が顔をのぞかせ「もう御用はありませんか」と常務に聞いている。「もうそんな時間か」と二人は顔を見合わせた。「君も長旅で疲れているだろう。家族の人も待っていることだし、あわてて仕事に戻ることもないからゆっくり身体を休めて、家族とものんびりして任地へ帰ってくれればいいよ。」とねぎらって貰う。
翌日から辰夫は常務の言葉に甘えて暫く日本に居て家族の団欒と休養にあててのんびりすることにした。性格からすれば飛んで帰るところだが、今回は何となく家が恋しかったのである。初めての家族旅行で温泉へ行ったり、子供たちを遊園地や観光地へ連れて行ったりした。時間が出来ると家の回りの小さな庭を手入れで一日を過ごす。
何しろ土いじりや木々の手入れは得意でもあり、好きだった。一日あちこちと細かく
手入れをしていて飽きることがなかった。
こうして仕事を忘れた楽しい日が過ぎていた。そんなある日の夕食のことだった。
食事が終わってテレビを見ていると、息子が母親に大きな声で「あの小父ちゃん、何時までお家にいるの」言っているのが聞こえた。