波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オヨナさんと私    第36回

2009-10-26 10:17:47 | Weblog
家に帰り一段落して落ち着いてスケッチブックを開いてみると、訪ねた場所と同時に出会った人たちの顔が思い浮かぶ。各々の人生が重なり、その後の様子が気になるが、もう二度と会うことも無いとおもいつつ、幸せを願う。
そして、いつものように子供たちが集まってきた。「どこへ行ってたの。」
「お土産は」「何しに行ってたの。」子供たちは思いつくままに、しゃべってくるが、その質問をかわしながら、いつもの学習に集中させる。
オヨナさんは原則的に成績のことは一切関知しない。成績を上げることを目的としていないからだ。しかし、中には子供の親が成績の良くならないことを訴えてくることがある。
「先日家庭訪問があって、先生からお話がありました。何時もとても明るくて良い子ですけど、社会科の成績が平均点までならないので、もう少しがんがって下さいといわれているんですけど」
「そうですか。私が見ている限り普通ですよ。悪くありませんよ。気にしなくて良いと思います。第一、ここではとても楽しそうにしています。休憩時間には友達とゲームの話をしたり、笑い声が絶えません。」オヨナさんは親と話しているうちに
親と自分の考えていることに大きなギャップがあることに気がついていた。
どうして成績にそんなに気にするのだろう。確かに成績が上がることは一つの目的であり、将来の目安であると思う。しかし、それは本人の素質もあり、いろいろな条件が整うことも大切である。
そして何といっても本人の意欲にある。そして意欲は体調を含めた本人の考え方にある。どんな思いで学習に立ち向かい、やろうとしているかであろう。
例えばゲーム機に向かうのと同じような意欲と好奇心と探究心を持ち、学習に向かえるかということである。つまりゲーム機と同じようなモチベーションをどうすれば持たせることが出来るか、そのことを周りの人達は協力しなければ成らないと思う。それで充分の筈である。疲れているようなら無理に強いることなく、寝かせることもあるだろう。喜んで学習に取り組み、楽しんでその時間を過ごせるようにしてやることこそ大事だろうと思う。
オヨナさんのところにいる子供たちは、一見遊んでいるように見えるほどである。
しかし、そんな中でオヨナさんの目は鋭く配られている。
楽しげに喜んでいる姿を観察しながら、何時か必ず、この時間の結果が良いものを生んでくれるものと信じているのだ。
そんな毎日を過ごしながら、オヨナさんは次の旅ことを考えていた。