波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

オヨナさんと私    第34回

2009-10-19 10:13:02 | Weblog
鴨川を出発したオヨナさんは少し長い留守をした家の事や子供たちの事が心配になり、そろそろ帰ることを考え電車に揺られているうちに、不図この近くに「養老の滝」とも言われる「養老渓谷」があることを思い出した。昔一度来たこともあり、懐かしくなり、立ち寄ることにした。
親孝行な子が親に美味しい水を飲ませようと、瓢に水を汲み持ち帰ったところ、
その水が酒に変わっていたと言う伝説があるが、その場所と混同するのだが、
その元祖「養老」は岐阜県の木曽川水系の養老町にあり、ここは単に養老川にある
渓谷であるだけで故事来歴とは無関係である。
いすみ鉄道から小湊鉄道に乗り換え、養老渓谷駅に着く。ここから川に沿って上流に歩くと渓谷があり、小さな滝もあり、又温泉もある。こうしてみると、全国にはここのほかにも養老と名の付くところは他にもあるのだろう。名前だけが一人歩きをすると、紛らわしいことになりそうだ。
秋には少し早い時期だが、この渓谷沿いの散策は静かで気持ちが良い。オゾンを一杯に吸いながら、何も考えず、オヨナさんはひたすら歩いた。
間もなく温泉らしき宿が見えてきた。説明書きによると、今から100年ぐらい前に天然ガスが湧き出し、鉱泉の温泉が出来たとある。
その宿の傍に「足湯」を使わせるところもあり、何人かの人が気持ち良さそうに足湯を楽しんでいた。
人は幸せを求めて生きているが、幸せはどこにあって、どのようにすれば掴むことが出来るのか、それはずっと昔からいろいろな人が考えてきた。
カールブッセと言う詩人は「山のあなたの空とおく、幸い住むと人の言う。あー我
人と訪め行きて、涙差しぐみかえりきぬ。山の彼方の尚遠く、幸い住むと人の言う。」と詠っている。また、チルチル、ミチルも幸福の青い鳥を探して旅に出ているが、果たして、青い鳥に出会えたのか。
何時の時代でも、どんな世の中になっても、人間の欲望と、それに伴う罪の存在は消えることは無い。また、どんなにものが豊かになり、望むものが手に入ったとしても、それで幸せになり、満足すると言うことにはならない。
足湯を使い、幸せそうな人たちの顔を見ているうちに、幸せはこんなところにあるのではとオヨナさんは気づかされた。心に不安を持たず、健康であって、必要なものが最低限あれば充分と心から思うとき、人はほのぼのと幸せを感じなければならないと思う。
また、それが家族であれ、友人であれ、誰であれ、その底に暖かい信頼関係が出来ていればそこに幸せは生まれてくる。