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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

ゲンジボタルの夏

2008-05-10 07:22:41 | 福岡
熊本県菊池市七城町の前川、岩瀬地区でゲンジボタルが飛び交い始めた。

 わき水が注ぐ水路(幅約2メートル、長さ約500メートル)沿いで、
4月半ばごろから観察され始めた。午後7時半ごろから約2時間、
淡い光を点滅しながら乱舞する。20日前後まで楽しめそう。
(読売新聞九州発 5月9日付け)

早くも熊本ではこの時期にゲンジボタルが飛び交い始めた、という。
この記事をネットで読んでいて子どもの頃の夏を思い出した。
こどものころ福岡県南部の田舎町に住んでいたのだが、夏になると
周りの子供たちが昨晩採ったという蛍を虫かごに入れてよく
幼稚園に持ってきた。みんなは近くの、地元じゃ有名な船小屋温泉
にいって蛍狩りをしてきたらしい。

自分もそこに行って蛍を採りたいと漠然と思っていたなあ。
まあ、その頃から内気だったんで、積極的に親にせがんで
蛍を採りに行きたいなんて言い出さなかったけれど。
内気さとか、自分についての自信のなさ、なんてこんないい歳に
なってもまだついて回っている。損ばかりしてんだよね、そのせいで。
得になることも、たまにあるけど・・・。

無性にラーメン

2008-03-06 09:10:43 | 福岡
今週忙しくて、朝の8時から深夜まで勤務。こういうので
いいんだろうか? と言いつつこの体制があと3日ぐらい
続くんだけど。

ということで深夜1時に帰宅して、なんだか無性に
博多ラーメンが食べたくなった。博多ラーメンじゃなくて
久留米ラーメンでもいいんだけど。あの白濁したとんこつ
ラーメンが食べたくなった。

パリにはラーメンのようなものを出す日本食レストランや
中華料理屋がある。でも自分にとっては限りなくエセラーメン
なんだよね。まず麺が全然違うし、スープも醤油ラーメンの
ような、よく分からない薄さ。そういえばシャンゼリゼの
裏通りにある日本居酒屋にとんこつラーメンあったけど、
あれもなんか違うんだよね。

福岡にいたときにどんなラーメン屋に行ってたか思い出そうとした。
なかなか思い出せない。長浜ラーメンは食べたことあるが。
観光客と一緒に380円のラーメンを食べた。地元の学生だったのに。
あとうまかっちゃんのような、インスタントもよく食べていたっけ。
飲み会の締めは屋台のラーメンだったと。なつかしか。
どこに住んでても博多は僕の思い出の街やけん、いつも心の中に
持ち歩いているとよ。なんちゃって。

博多の繁華街もいまや遠くなりにけり

2008-01-10 07:53:10 | 福岡
九州の、高校の頃からの友人から葉書が届く。
いつも定期的に連絡をくれる殊勝な友達だ。
絵葉書の写真は福岡の岩田屋。昭和35年。

岩田屋というデパートは福岡でたぶん、一番
有名なデパートで、昔はゴジラの映画なんかにも
出てきたぐらいの老舗百貨店だ。僕もよく
大学生の頃には遊びに行っていた。何も買うものなんか
なかったけれど、なんか地元の百貨店という感じで
いい感じなのだ。そういえば地下に大規模な食品売り場
が当時あって、よくコーヒー豆を買いに行っていたかも。

昭和35年当時の岩田屋は天神にはない。博多駅の北、
呉服町にあったらしい。当時は呉服町、中州が福岡の
商業の中心だったらしい。今は見る影もないのにね。
そんな時代の空気を伝えるようなモノクロのはがきの写真を
見ながらなんかノスタルジックな気分に浸る僕だった。
僕の知らない博多がまだたくさんあるとよね。

どんたくの季節

2007-05-05 05:37:26 | 福岡
読売新聞の九州版をネットで見ていたらあまりに
いい写真が出ていたので掲載します。
博多どんたくの花自動車とそれを眺める市民。

懐かしかあ。ゴールデンウィークつーと
博多どんたくか有田の陶器市やったもんね。
写真の街角は天神みたいな。福岡の舗道は中央区は
レンガ色であんな感じやし、奥のビルは福岡ビルのごたる。
学生に戻ってまた博多どんたく見に行きたかね。
東京からゴールデンウィークに帰省すると福岡じゃ
みんな半袖のシャツば着とって、夏みたいになっとることに
いつも驚きよったもんね。
などと福岡弁で文章書いてみました。

ノスタルジーという感情

2007-03-11 08:10:25 | 福岡
正月に久しぶりに日本に戻ったとき、親が柳川に
ドライブに連れて行ってくれたんだが、帰りがけに
筑後市という街を通った。

筑後市は福岡県南部に位置する、筑紫平野の典型的な田園都市だ。
どこまでも平らな道が続いている。田園と低い街並み。
車の中には両親と姉と4歳になる姉の息子が乗っていたのだが、
うちの母親が甥に向かって、
「この街にあなたのお母さんとおじさん(僕のこと)は
子どもの頃住んでいたのよ」と一生懸命話しかけていた。

僕らの車は昔住んでいた家の前やよくかけっこなどした
小さな広場の前など周ったのだが、こんな感傷的なことを
うちの親はよくやる。失くしてしまってもう戻らない
時間を取り戻すような作業を。
ほんとに何も変わらなきゃいいのになあ、などという
感情に襲われるのもそんなときだ。

2年ぶりに福岡に戻ってみる(9)

2007-01-14 05:02:36 | 福岡
冬休みの福岡旅行の続き。
どうも、僕は影響を受けやすいのか、日本についてから
3日ぐらい時差ぼけでフラフラ、かつ自分の母国なのに
文化環境に慣れるのに非常に苦労した。
で、旅行が終わる頃にはすっかり純日本人に戻ってたんだが、
今度はフランスに戻ってくると、フランス語が
うまく出てこなくなっていて、今、骨を折っているところだ。
もともと頭の切り替えが早くないので、フランスに住んでいても
日本語からすっとフランス語に切り替えたりするのがすごい苦手。
バイリンガルの人はほんと、すごいと思う。

とそれはさておき、写真は柳川の白秋生家前の通り。
静かな、誰も歩行者のいない、有明海方面に抜ける小さな道だ。
年の瀬、北風、弱弱しい陽光、穏やかな冬景色。
典型的な、福岡県南部の風景だ。せかすものも、駆り立てるものも
何もない、のんびりとした風土。危機感がないと、前進はないんだろうが。


2年ぶりに福岡に戻ってみる(8)

2007-01-08 05:23:25 | 福岡
電車に乗って福岡に行ってみた。
西鉄天神駅で降りて、新しくなった天神地下街を歩いてみる。
新しく開通した地下鉄・七隈線の南天神駅まで地下街が続く。

南天神駅から地下鉄に乗って茶山まで行く。
城南区にある何の変哲もない団地が続く街だ。
なんで茶山に行ったかというと、昔従兄弟が住んでいて
よく遊びに行っていたからだ。
茶山の団地はあの日のまま、何も変わっていなかった。
無機質な箱型の団地が続く様子も、丘の上にある自動車学校も。
そこから見下ろす福岡の市街地も。

茶山から六本松までぶらぶらあるく。油山観光道路と言われていた
道路の脇には新しいマンションや高層アパートが立ち並ぶ。
六本松からバスに乗って福岡の副都心西新へ。

西新岩田屋はもうなくなっていたが、
同じ建物に再開発のショッピングセンターが入っていた。
商店街を藤崎に向かって歩く。あの頃と変わらないが、
よくCDを買っていた中古CD屋がなくなっているようだ。
学生の頃、飲みに行った居酒屋、「網元」の前を通る。
まだカルピスサワーはあるだろうか?
買い物していて、「今の大学生はそんな格好してるの?」
などと知らないおばさんから話しかけられたスーパー・サニー
はまだそこにあった。福岡に住んでいた頃は
よく知らない人に話しかけられてたなあ。

西新から続く商店街が終わるところに
地下鉄藤崎駅がある。地下鉄入り口の脇にある
小さな神社はそのまま。猫の額ほどの狭い
境内に入って手を合わせてみた。

2年ぶりに福岡に戻ってみる(6)

2007-01-06 06:32:52 | 福岡
久しぶりに、親がドライブに連れて行ってくれた。
福岡県南部、有明海近くの柳川へ。

筑後川沿いに車を走らせる。九州最大の筑紫平野は筑後川を中心に
二つに分かれる。福岡県側が筑後平野、川向こう、佐賀県は佐賀平野だ。
車の左手にはただっ広い水田地帯が広がる。右手にも水田地帯。その先に
うっすらと背振山地を望むことができる。背振山の向こうはもう福岡市だ。

車はまず酒どころとして有名な三潴・城島を通り抜ける。久留米に合併される
までは三潴郡三潴町・城島町と言われていたところで、筑後川の豊富な水と
稲作を背景にたくさんの酒蔵がある。
そして車は家具の大産地として有名な大川市の市街地に入る。道路沿いに
たくさんの家具メーカーの店舗がつらなる。日本の昭和歌謡の父、
古賀正男の出身地ということで、古賀正男記念館なんてある。
全然興味ないけど。あと明治時代の建築物の前も通る。酒メーカー
清力美術館と旧三潴銀行本店とか。そういうやつ。
なかなか味のある木造建築だ。

そして柳川到着。久留米と柳川は非常に近い。車で1時間もかからないのだ。
柳川では何をしようか。やっぱりうなぎのセイロ蒸しでしょう。

2年ぶりに福岡に戻ってみる(5)

2007-01-04 06:49:11 | 福岡
翌日、天神に出かけていって一蘭ラーメンを食べようとする。
やっぱ福岡はとんこつラーメンたい!ってな風に。そういえば
山笠があるけん、博多たい!というフレーズもあったな。
(有名なコマーシャルから。って全国的に有名なのか、
地元でのみ有名なのかよく分からないが)

が、天神ビブレの裏の一蘭は昼間から行列ができていたのだ。
福岡に来てまで行列なんかしたくないので、一旦退散。
数時間後にまた戻ってきた。今度は午後4時。
今度こそ食べるぞ、と思ったら、また店の前に行列ができていた。
って、一日中行列があるんじゃん、一蘭めえ。
他の一蘭の店舗に行こうと思ったが、中洲川端や博多駅まで
また地下鉄で移動するのも億劫になってしまい、結局
とんこつラーメン諦めてしまった。腰砕けめ、自分。
写真はIMSの脇から見た西鉄天神駅。

2年ぶりに福岡に戻ってみる(4)

2007-01-03 16:35:10 | 福岡
そもそも成田空港に着いた初日、到着時間が午前7時という無茶苦茶
ぱっとしないフライトだったのだが、案の定、宿泊予定のホテルに行くと
「チェックインは午後2時からです」と冷たく追い返される。時計を見ると
まだチェックインの時間まで優に5時間以上ある。仕方ないので、
本当にそんな必要などないのに、西荻に散髪に行く。

なぜ、西荻で髪を切るのか。全然意味はない。昔あのあたりに住んでいたので
今どんな風に変わってるのか、散歩も兼ねて見に行っただけなのだ。
で、散髪屋。うーん、日本の理容室はおしゃべりだったことをすっかり
忘れていた。時差ぼけの頭にきっつい質問の嵐。注。カッコ内は
心の中のつぶやき。

「今日はどうしたいの?角刈りはいやなんでしょう」
(つべこべ言わず黙ってきってくれ)
「今時の若い人は難しいからねえ」(今時の若い人でもないんだけど、俺)
「今日はこの後、どこに遊びに行くの?」(一応、中野、と無難に答える俺)
「これからデートなの?」(散髪=デートと考える短絡的思考め。)

などと1時間近く拷問のような質問攻めにあった自分だった。

で、福岡の実家に帰るなり、母親の一声。
「あんたどうしたの、その頭。なんでそんな短く切るの?
みっともないじゃない」
母の言語的暴力はまだ続くのだった。
「ほんと、太っちゃって、中年ねえ。もっとやせなきゃ。何年か前は
どこに出しても恥ずかしくない息子だったのに」
ちなみに「どこに出しても恥ずかしくない」なんて母親の口から
聞いたことは一度もこれまでなかったのだった。

2年ぶりに福岡に戻ってみる(3)

2007-01-02 17:21:17 | 福岡
新山口駅からこだまに乗り換え、厚狭駅、新下関、小倉など
馴染み深い駅を通過、ぼんやり外を眺めているうちに新幹線は
博多駅のホームに滑り込む。かなり都会の広島を見た後では
小倉も博多も二年前に比べてあまり町の風景は変わってないな、というのが
感想。博多駅前の西鉄インは昔はなかったけど。

福岡県の人口は約505万人、福岡市は140万人。順調に増加しているらしい。
でも日本の人口はゆっくり減少しているし、福岡が大きくなっているということは
九州の他県の人口が減少していることに他ならない。
また一口に福岡の人口が増加と言っても、詳しく見てみると本当に
増加しているのは福岡都市圏のみであって、他の都市圏(北九州や筑後)
は減っているのだから、本当に福岡市の一人がちと言ってもあながち嘘ではない。

博多駅で地下鉄に乗り換えて天神駅へ。おお、地下鉄七隈線という新しい
路線が開通しているではないか。七隈方面、福岡大学のほうへ行く路線だ。
天神からは西鉄大牟田線に乗りかえて、馴染み深いペパーミントグリーンの
西鉄電車で福岡県南部に向かう。

大宰府を過ぎたあたりから、街の様子が変わっていることに気づく。
福岡市近郊の都市では宅地開発が進んで、窓の景色がガラット変わっている。
特に朝倉街道と小郡の間なんか、団地が次々にできている。
雑木林、池、手付かずの原野。すべて新興住宅地に。
写真は九州の玄関口、博多駅前大博通り。この通りの先に
福岡サンパレスがあるんだよね。

福岡に2年ぶりに戻ってみる(2)

2007-01-01 14:02:50 | 福岡
東京から福岡までは新幹線で移動することにした。
おお、品川駅に新幹線が止まることになっているではないか。
新横浜は相変わらず駅周辺だけ都会だなあ、
熱海は相変わらずどんよりしているなあ、などと窓の景色を
見ながら自分に対して独り言コメント。富士山も見えたけど特には感慨もなく。

4時間後、広島で友人に会うため途中下車。正直言ってこんなに
広島に早く着くとは思ってなかった。5時間ぐらいかかると
思っていたのだ(あんまり変わんないか)。
5年ぶりに会った友人は全然変わってなかった。喋り方も、見た感じも。
果たして5年という期間は長いんだろうか、短いんだろうか。
書いてて思ったんだが、このパラグラフ5の数字が多いなあ。

山口にも調子に乗って途中下車。このときも高校の友人に
5年ぶりに再会のはずだったのだが、友人、風邪でダウン。
ということで会えなかったぜ。ということで写真は湯田温泉駅の朝景色。
山口市って盆地なんだよな。遠くに山が見えます。

福岡に2年ぶりに戻ってみる(1)

2007-01-01 04:37:01 | 福岡
ということで福岡に二年ぶりに帰ってきた。
それを言ったら、日本に戻るの二年ぶりだったんだけど。
福岡に戻る前、東京で出会った旧友から譲り受けた書籍、
フェルナンド・ペソアの『不穏の書、断章』。
あまりにも良かったんで、一部引用しときます。

私たちには誰でも二つの人生がある
真の人生は 子供の頃夢見ていたもの
大人になっても 霧の中で見続けているもの
偽の人生は 他の人々と共有するもの
実用生活 役に立つ暮らし
棺おけの中で終わる生

こんなペソアのことばを読むにつけ
「役に立つ暮らし」なんてつまんないなあ、などと
ついつい思ってしまう。
実用じゃないんだよな、人生は。

天神コア

2006-12-14 07:16:10 | 福岡
今日会社帰りにいつものようにスーパーによって
ワインだの、牛乳だのカゴに入れてレジに並んでいたら
いきなり停電。しかもレジの電気だけ。
待たされる人々。あちこち駆け回る従業員。進まないレジの行列。
とじりじり緊迫した空気が流れたが、20分ほどたった時点で
「今日は復旧しません」の一言。ひどか・・・。
辛抱強く待つんじゃなかった。などと思うことひとしきり。

とそれとは全然関係ないのだがネットのニュース(九州版)を
見ていたら

天神コアの紀伊国屋書店閉店

のニュースが。天神の紀伊国屋書店といったらもう何十年も前から
天神コアという天神のど真ん中にあるビルの最上階にある
天神地区最大の老舗書店だ。ちなみに天神というのは福岡最大の繁華街。
中学・高校生の頃は福岡に行ったら絶対立ち寄っていた書店だし、
福岡市内に住んでいた大学生の頃は毎週のように通っては
立ち読みしていた書店だった。あの頃は大型書店というのが福岡にも
あまりなくて、洋書が一番手に入るのはこの天神の紀伊国屋書店だったのだ。

あと、中学生だった頃、夏休みに姉と一緒に電車に乗って福岡市内の従兄弟
の家に遊びに行ったことがある。その時叔父さんに連れて行ってもらったのも
この紀伊国屋書店だった。辻邦夫の児童小説『ユリアと魔法の都』を叔父さんに
買ってもらったのを覚えている。
そのあと天神コアの別のフロアのレストランに叔父さんと、姉と
従兄弟2人と入ってチョコレートパフェかなんかを食べたんだよね。

天神コアビルに足を踏み入れるたび、エスカレーターを上って
紀伊国屋書店に入るたび、わくわくした気持ちを覚えた。
難しい哲学書とか、意味不明のタイトルの書籍を手にとっては
長く立ち読みしていたなあ、訳もなく。あの書店がなくなるとは。