goo blog サービス終了のお知らせ 

日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

st sulpice教会あたり

2011-11-28 23:11:10 | パリ左岸
思考を言語化するのは大事だと思うが、いろいろ考えた挙句、
ブログに書くのが億劫になってしまうことが多々あるので
とりあえず今日は簡単に写真だけアップしよう。

サンシュルピス教会界隈を夕暮れ時にあるいたので一枚。
長い間かかっていた修復が終わって、正面の塔も
内部のドラクロワの絵画も真新しくなってたっけ。


地球のうえで

2011-11-19 21:56:16 | パリ左岸
夜にブラブラしていたら、某場所で昔から知っているパリ在住の友人に
出くわした。昔の同僚で、10年ぐらいまえに知り合った人だ。
彼女はもう転職してしまったので、もう5年ぐらい会っていなかったのだが、
沖縄出身であること、そして年も僕とあまり変わらない、ということで
僕は勝手に親近感を感じていたのだ。

年月のブランクなど感じずに、まるで普通に話せたのがうれしかった。
しかし話している途中で、共通の知り合いの女性、つまり別の昔の同僚の
フランス人女性が1年前に死亡していたことを彼女から聞いてはっとする。
まだ40前後の若さで、心臓麻痺でなくなったらしい。

悲しんだり、後悔したりしても彼女が戻ってくることはない、というのは
本当だ。しかし、もうそのフランス人女性が地球上にいない、と考えると
考えただけでなんか気が遠くなるようだ。一本気で、ダイナミックで、
快活な南仏出身の女性だった。

歳をとるということは、そうやって他人の不在や消失に慣れていくこと
なのかもしれない、などという意味のことを久しぶりにあった
彼女は言っていた。すごい大人だと思った。

アパルトマンを探す

2011-10-05 04:53:55 | パリ左岸
ホテルの予約もだんだん期日が少なくなってきたため
今日からアパルトマン探しを始めた。インターネットサイトや
不動産屋に電話したりなどして、できる限り情報を探す。

今日の午後だけ、パッシーにある小さなステュディオを訪問する。
アパルトマンだと思っていたら、ステュディオで、かなり
小さな間取りだった。学生ならいいが、社会人にはちょっとつらい、
ような感じの物件だった。大阪で住んでいたマンションより狭いし。

とりあえず明日も一軒物件を見ることになっている。
なかなか今週は家も決まらないし、落ち着かない感じ。

うずらの丘

2011-10-02 04:38:43 | パリ左岸


昨日フランスに到着し、今日が二日目。まだ、なんか
自分がフランスにいることが半信半疑で信じられない感じだ。
意識の中ではまるで自分が出張中で、すぐにでも大阪のマンションに
戻っていきそうな感覚だ。あんなにしぶしぶ住んでいた大阪だが、
フランスに来るとなぜか懐かしい。と、かなり勝手なんだが。

まだ家も決まらず、仕事もはっきりしないので、とりあえず
ホテル暮らしを続ける。僕は子供のころよく転校していたのだが、
新しい町に着くとすぐに家の周りをブラブラ散歩して、
その町の雰囲気に慣れたり、何気ない小さなものを発見したり
していた。

ということで、僕もホテルから出て、パリの街を
ぶらぶら歩きまわることにした。といっても、昔も住んでいたし、
大学生のころから知っている町なので感慨にふけることも
ないのだが。

写真は久しぶりに行ってみたbutte aux cailles界隈。
イタリア広場近くの街区だが、なんか、昔の田舎の町を
思わせるような低層のアパルトマンとのどかな雰囲気が
広がっている。

10月のフランス(5)

2009-10-17 06:41:05 | パリ左岸
あっと言う間に滞在期間も終わり、最終日はラスパイユにある
カルチエ財団の展覧会を見に行く。グラフティーアートをテーマとした
展覧会で70年代から今日までのグラフィティーアートの歴史を
たどるほか、関連のアソシエーションと協働して、毎週新しい
グラフィティー作品も展示していく、というものだ。
グラフティーアートはストリートアートで、路上から生まれるアートだ。
だから評価を拒むアートのように、次々に変容しては流転していくようなイメージ。

写真は落書きで(わざと)埋め尽くされたカルチエ財団のトイレ。

10月のフランス(4)

2009-10-15 07:38:27 | パリ左岸
出張もそろそろ後半戦最後。一応出張の目的だった
イベントも終了し、あとはこまごました仕事をフランスで終えるだけ。
もうすぐ帰国しないといけない。そんなとき、
夕方、セルビア人の友達の会社に遊びに行く。
セルビア人の友達は相変わらずで、真面目に働いている。
次一月か、五月にまたフランスに来ると言ったら、
そのときまだフランスにいるか、ベルグラードにもう戻っているか
分からない、と言っていた。フランス国籍をこないだとったばかりなのにな。

そのあとフランス人の友人の家に遊びに行き、夕飯を食べて
パリ市内に郊外電車に乗って戻ってきた。

電車の窓から見える風景は暗く、陰鬱でまさに
フランスの秋と言った感じ。つい、そんな風景を見ながら
なんの救いようもない気持ちになってしまいちょっと落ち込んでしまった。
このあとどうするんだろう、とか。二年後に僕はまた
欧州に戻って働こうとか考えているんだけれど、そんな希望自体
まったく浅はかな考えなのか、とか。

日本に戻るとまたぬるま湯みたいな生活が待ってるんだろうか?

2009年夏のフランス(5)

2009-07-13 23:13:21 | パリ左岸
どうも僕は、旅行中のときのほうが日本にいるときより
思索的になれるような気がする。東京じゃ、家に帰ると
何も頭に浮かばないし、その日あったことなんてたいてい忘れてしまうし。

パリでは久しぶりにフランスの友人とご飯を食べた。
そうそう、ワインの銘柄が発音が悪くて通じなかったのだ。

BROUILLYという白ワイン。
カタカナだとブルィイィイとかそんな感じになるか。
とくにBの後に来るROUの発音が苦手だ。
フランス語勉強を投げ出してしまいたくなる。いつまでやっても
うまくならない。

2009年夏のフランス(2)

2009-07-08 21:51:34 | パリ左岸
パリ市内についてホテルに荷物を降ろす。
打合せも終わり少し時間が空いたので昔の友人に会いに行く。
会話中に次のような表現が出てきた。

Chat echaude craint l'eau froide

直訳すると火傷をした猫は冷水を恐れる、との意味。
日本のことわざで言えば、あつものに懲りて膾を吹く、ということか。
なんでそんな表現が出てきたのかあまり思い出せないが。
なんか用心深いこと言ったんだろうか。

そのあとホテルに戻って本を読んでいたら次のような
表現が出てきた。

Aliis licet: tibi non licet,

他人はそうであるかもしれないが、お前はそうであってはならない。

あるイタリア外交官の言葉だ。まさにそうだと思う。


フランス出張3日目

2009-01-25 12:47:09 | パリ左岸
1日中、打ち合わせと関係者に会ったりで時間が過ぎる。
行動範囲は14区とか15区とか。
それぞれの街に、都市の空気、とでもいえる様なものがあると思う。
たとえば西荻であれば、西荻日和、とでも呼びたくなるような
のどかな風が吹いているような、ゆったりした空気が流れている。
そういうタイトルの漫画があったっけ。
パリの15区は、なんかガサガサした、騒がしい空気がある。
住宅地で、若い家族がたくさん住んでいて、上品な猥雑感のようなもんか。

仕事の合間に昔の友人に会いに行ってみる。握手をしたときに感じる、
あったかい感情が甦る。ああ、こういう感情もあったんだなあ、
などとしばし考える。

フランス出張一日目

2009-01-22 23:25:15 | パリ左岸
10月にフランスに出張したのだが、仕事の関係でまたフランスに来ることに。
かなり寒い、と聞いていたのだが空港に着いた途端、小雨混じりの
湿った空気での中、そんな気温は下がっていない感じ。
「一週間前だったら、こんなもんじゃなかったよ」と受け入れ先の会社の
人からタクシーの中で説明を受ける。
ロワシービルのホテル群、IKEA、シトロエンの工場、
サンドニのスタッド・ド・フランスの脇などを通り抜ける。懐かしい風景だ。

機内では全然眠れず、珍しくフランス到着時に時差ぼけを起こしそうな気がする。
普通はフランスに着いたときは何でもなく、日本についたときに
つらくなるんだが。機内ではマンマ・ミーアの映画ばかり見ていた。
頭の中で、ABBAのメドレーがまだ流れているようだ。

市内についてチェックインしたあと、アンバリッドの近くの
韓国料理やに夕食を取りに行った。前に一回行ったことのある、
ヌーベルキュイジーヌのような、上品な韓国料理が出てくる店だ。
仕事仲間と話しながら、ちょっと前に見たフランスのドラマのセリフを
思い出した。

TU SERA JAMAIS HEUREUX
SI TU N'AS PAS LE COURAGE D'ALLER CHERCHER
CE QUE TU VEUX VRAIEMENT

本当に欲しいものを探そうとする勇気がなければ
絶対幸せにはなれないよ

欲しいものはフランスにあるんだか、日本にあるんだか
自分としてはよく分からなくなってきた。



あきらめないやつ

2008-11-20 00:57:44 | パリ左岸
フランスの事務所の仕事の関係者(日本人)が僕に
電話をかけてきた。嬉しそうな声で「●●のプロジェクト
うまくいってるみたいでホント、よかった」。

そのプロジェクトというのは昔の同僚、バレリーが携わっていて、
彼女が広報なんかやっていたものだ。すぐに久しぶりに
「いい仕事やってるじゃん」と激励メールを出してみた。
すると数十分後に長いメールが。
「うまくいってるなんて、とんでもない。あんた勘違いしてるよ。
私の仕事は、もっと職場に信頼関係があって、もっと
仕事にリスペクトがあって、もっと予算がついたらもっと
いろんなことができるんだから」などといつもの調子で、
欲求不満が書かれてある。

でもふと思ったのだが、こうやって彼女は欲求不満をいつも吐き出すが
なんだか現実を改善しようといつも苦闘しているのだ。その証なのだ。
そういうあがいたり、もがいたりする姿が、今の自分の周りの
職場スタッフにはないから、なんか物足りなく感じるんだろうな、
と思った。今の僕の周りの人間は、それが日本社会
なのかどうか分からないけれど、もがき苦しまない(ように見える)。
自分もそういうのに染まって、つまんない事なかれ主義の
オジサンになるんだろうか、嫌だなあ、と思う冬の初めだった。


出張中のぼやき(3)

2008-10-28 23:44:36 | パリ左岸
久しぶりに、というか4ヶ月ぶりに昔の事務所に戻った。
僕はひょんなことから、というかたまたまアート関係の
仕事をしているのだが、いつも企画が陳腐なので
同僚に馬鹿にされる始末。たまたまバレリーがいたので
「次の企画のテーマは『暴力とセックス』だね」
などと冗談めかして言うと、
「それ、あんたの妄想でしょ。そんな冒険的な企画を
やり遂げられるんだったら、見直してあげてもいいけど」
などと返された。相変わらずものいいがきつい・・・。

日本に帰る前の日、フランス人の友人の家に夕飯を取りにいった。
彼女はアパルトマンの4階に住んでいる。夕食が終わって
アパルトマンを出る頃にはもう夜の11時過ぎ。すっかり
暗くなった舗道をそそくさとメトロの駅に向かって歩く。
何百メートルか歩いて、角を曲がる寸前、ふと思い立って
後ろを振り向くと、彼女が4階のアパルトマンの窓から
僕を眺めているのが見えた。ああ、僕が消えるまで見ていたんだ。
ただそれだけのことなんだが。

その日の出来事

2008-05-03 07:30:50 | パリ左岸
今日は起こったことを簡潔に箇条書きにしてみます。

来週ブリュッセルに行くので、ちょど一年前に
ブリュッセルでひょんなことで知り合った日本人建築家に
メールを出す。今年もブリュッセルに行くんでよければ
一杯の飲みましょう、と。
するとすぐ返事が来て、6年近いブリュッセルでの生活を終え
現在日本に本帰国したとのこと。ああ、いつの間にか日本に
帰ってたんだ。そんな日本で働きたかったのかな、などと思案。
自分の場合、最近どこで働いても同じなのかも、なんて感覚に
よく襲われる。

正午に事務所の同僚(女)とランチを食べに行く。
この歳になっても僕はまだ独身で、頼んでもないのにいまだに
結婚の心配をよくされる、というような話をする。
「○○さん(僕の本名)、モテるんじゃないですか?」と
同僚に言われる。僕みたいな人間がモテるように見えるのか?
それとも社交辞令か?

夜半にイタリアに行ったポーランド人の友人宅へイタリア
土産をもらいに行く。美しい瓶に入ったガラッパだった。
アルコール度数40度。かなりきついアペリティフだ。
前回やっぱりお土産で別の人からもらったことがあるが
かなり美味だったんで楽しみ。

帰りがけ、深夜近く、友人宅から自分のアパルトマンまで
歩いて帰る。歩行時間30分。今日は気候がいいんで、
あちこちの街角のベンチで談笑するティーンエージャーを
見かける。いいよなあ、こういう気候のいい春の夜長。
自分も一晩中街角で人と雑談したいよ。




祭りの後

2008-04-25 06:11:20 | パリ左岸
日本から派遣されている同僚であまりフランス語が
できないやつがいる。やはりフランスで働くには
フランス語ができないと厳しいし、事務所内でのフランス人の
同僚とのコミュニケーションだってフランス語ができないと
難しいので、「フランス語ができないからって、億劫になって
消極的になるのはおかしい」みたいなコメントをしたら、
おまえは何も分かっていない、みたいな顔で非難された。
どうもフランス語が不得手な本人への配慮が足りなかったらしい。
「でもやっぱり語学ができないというのはハンディだし、
最初はいろいろ恥じをかきながら外国語は上達するのであって、
そういう過程を避けて、語学のせいにしてあれこれやらないのは
フェアじゃない」と反応したらもっと非難された。
極めて普通のことだと思うんだけどな。

今週はずっとパリで公演を行った某日本のコンテンポララリー
ダンスの公演団のために働いていた。その制作の人を知っていて
フランス側の制作者としていろいろ雑用をしていたのだ。
やっぱり共同制作というのは楽しい。公演の実現のためにあちこちに
電話をかけまくったり、カードを配ったり、打ち上げの準備をしたり、
楽屋の消耗品を買いに行ったり。みんなで一つになって作品を
総合的な過程として作り上げている、ということが実感できるのだ。

今日、最後まで残っていた公演団のメンバーが帰ってしまった。
ちとさびしい。また来ないかな。