goo blog サービス終了のお知らせ 

日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

夜の通り

2012-02-01 22:51:16 | パリ右岸

ふだんはあまり夜出歩くことはないのだが、たまたま
用事があって夜半、オテルドビル近くを歩いていたところ
偶然、通りかかった通り。
人気のない通りには、両脇にバーやギャラリー、そして紙の店
(手帳やカード)などが並んでいて、なかなかいい感じだった。
パリは日本よりも、一足先に一店主義が浸透していて、
デパートなどはどんどん無くなったり、縮小傾向にあるが
その代わり路面店がどんどん主流になりつつある気がする。
郊外ではショッピングセンター、市内では専門店で買い物、
というパターンになっているような気がする。

人気のない通りを黙って、歩く。ただ歩いているだけでも
なんだか幸福な気持ちになる通りだ。

その日のできごと

2012-01-23 22:09:27 | パリ右岸
今日昼飯を同僚と食っていると、なぜか携帯に
昔の同僚のヴァレリーから電話がかかってきた。いい味出している
面白いやつだ。「何の用?」と電話に出ると、「ごめん、
電話番号間違った。他の人にかけたかったの」と言われて電話を
切られた。というか相変わらずおっちょこちょいな感じだ。

夕方スーパーで長い列に並んでいると、レジの女の子と目が合って、
「ムッシュー、この列はあなたで最後でお願いします」と言われてしまった。
大型スーパーでは、複数のレジが開いているが、ある時間になったら
計算のために交代でレジが閉まるのだ。とは言っても普通は
レジの列を閉めるためのバンド状のテープのようなものをある部分に
ぱっとかけるのだが、そのテープに行くまでまだ3人ぐらい並んでいる。
で、結局黙っているとどんどん人が並んでしまうので、
僕の後ろに人が来るたびに、「すんません、このレジもうすぐ
閉まるので、僕が列の最後なんです」といちいち言わされる羽目に。
ということで少なくとも4人ぐらいに断りを入れる。

レジの女の子はニヤニヤ笑って僕の番に来ると(というか僕が
最後尾なんで、もう後ろには誰もいないのだ)、
「フランス語だけ話すの?」と聞かれたので、「英語と日本語」
というと面白がって、知っている日本語の単語を言って見せた。
パリにもこういう好奇心の強い、若い女の子がいるんだなあ。

家に帰ると、昔から師匠と仰いでいる人からメールが来ていた。
東日本大震災で旅立った人への気持がつづられていた。
あまりに良かったのだ、ここに書いておこう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この世にあるかぎりは、断乎として、一日一日一刻一刻を、
めでたい歓びのおとずれのときとして迎えることこそ、旅立
った人への礼なのだと、自分にいいきかせました。

2011年最後の日

2011-12-31 21:07:39 | パリ右岸
年末・年始、結局休みになったが日本に帰ることもなくなったので、
フランス国内を旅行しようかな、と思っていたのだがいろいろ
おっくうになってしまいこの日になってしまった。
朝から家の中でブラブラしていたら、フランスの友人から
電話がかかってきた。近況報告の会話だったんだが。

よく考えると、1年前は大阪の南のほうに住んでいて、
あ~こんな生活いやだ、とかいいながら年末は福岡の実家に
新幹線に乗って戻ったような気がする。大阪だったから、
思い立ったら簡単に実家に帰れたのだ。
なんか大阪にいた頃が懐かしいような気持ちさえする。

あれから1年たってなぜか今はフランスに住んでいる。
さっき、テレビでサルコジ大統領の大みそかのあいさつが
放映されていた。大統領府で毎年のように放送されるものだ。
この放送はもう何度も見たことがある。
90年に大学生だったころ、フランスに語学留学していたのだが、
年末を過ごしたトルービルのウィークリーマンションで
大統領の演説を見た。その頃はフランス語が分からず
何言っているのかよく分からなかったが。
そして普通に留学していたころ、90年代半ば、ナントでも
この放送を見た。その頃はシラク大統領だったが。

なんか歳だけとったなあ、と思うことひとしきり。
2011年は希望の年にしたいなあ。
大みそかはフランスではnuit de saint sylvestre
というがいつもはひっそりとしている僕のアパルトマンの
ある界隈でも、賑やかになりそうだ。

そぞろ歩き

2011-12-29 21:27:30 | パリ右岸
職場も仕事納めで休暇に入り、1月の頭まで休み。
日本に帰国の予定もないし、かといってずっと家の中にいるのも
体に良くないので、近所をそぞろ歩きし始めた。
僕の住んでいるところはパリの右岸の、西側の、
住宅街なのだが、めぼしい商店街もなく、ひっそりして
地味な感じなのだが、オスマニアン建築のアパルトマンが
続く通りがあったり、ひとけない、忘れられたスクワールが
突然あったりして、なかなか散歩も面白いもんだ。

1週間近くの休みなんだが、どっこ旅行にでも行こうかな、
と思っている。まだ行く先を決めていないが。

写真は近所の公園。


世界に取り残されている感

2011-12-21 22:18:54 | パリ右岸
北朝鮮の国家主席が死去して世間は(とくに東アジア)は
緊張感が走っているが、フランスのほうは死去当日のニュースは
すさまじかったが、もう今日ぐらいになると、報道をやめてしまい
他のニュースを流している。それはそれで無理もない。

大阪の田舎で働いているときは、「世界に取り残されている感」が
ひどくて、世の中の激しい動きに、こんな田舎にいてはついていけない
という焦りがいつもあったのだが、実際に、国際政治の激動の
一つの極の中にあると言っても過言でもない、パリ市内に引っ越してみて
そんな世界の動きを肌で感じることがない。平凡な日常を送るだけである。
よく分からないのだが、結局は日常が一番重要なんだと思う。
それがその人にとってどういう日常なのか。

ということで写真は日常の通勤路。


杉の木のマーク

2011-12-06 22:39:40 | パリ右岸

もう10年ぐらい前から知っているフランス在住の
日本人の友人と久しぶりに会って、街をぶらぶらした。
夕食を一緒に、ということだったのでポンピドーセンター
界隈を歩いていたのだが、適当なレストランが見つからない。
よさそうな雰囲気のレストランはどこも混雑している。

市役所の界隈を歩いていたら、ひっそりとした通りに
面したレバノン料理のレストランが目に入った。
正直、いつも脂っこい物ばかり食べていた自分にとって
レバノン料理はあっさりしすぎて、これまで積極的に
関わりになったことはなかったのだが、友人も気に入っていたので
だまされた気分で店の中に。

店の中は誰もお客はおらず、ひっそりとしていたが
親切なレバノン人のおじさんがフランス語でなにやら
メニューの説明などしてくれた。
ナスのピューレ、レバノン・ムサカ、フライなどなど。
食が進む、進む。あっさりしているのにヘルシーで
コクがあって、うまいじゃないか、レバノン料理!
ということで結構、はまりそうな感じかも。

写真は全然関係ないエッフェル塔。

独立独歩で

2011-11-10 23:29:54 | パリ右岸
結構長い間ブログを投稿しなかったが、無理もない。
ネットが開通しなかったからである。
ホテルを出て、住宅関連ネットサイトでアパートを捜し、
大家と直接会い、契約条件を決め、電話やガス会社に電話し、
ネットの申し込みをし、と一人でいろいろやっていたら、
結局ネットの開通まで3週間以上経ってしまった。
不動産屋を通さないと、お金が節約できるが、何から何まで
独力でやらないといけないので、かなりきついかも。

今日はなんかの縁で、日本から来ている写真家の方と
お昼を一緒にする機会を得た。みんな自由な感じで、
うらやましいことひとしきり。内向的なまま大人になったような
人とかいて、ああ、自分と同じだと思ったりして。
しかし僕は会社員なので、勤務中というかお金が払われている
間は本来は内向的でも、社交的に人の話を聞いたり、
適当につきあったりとしないといけないのだ。

少しずつフランスに馴染むこと

2011-10-15 06:05:51 | パリ右岸
以前から知っているパリのセルビア人の友人の案内で、
セルビア人歌手のコンサートに行ってきた。コンサートと
言いつつ、小さなホールに30人ぐらいの観客がいるような
まるで西荻とかのポエトリーリーディングの会みたいなノリだが。
しかもほとんどフランス人と在パリのセルビア人ばかりで
アジア人は僕一人であった。といいつつ、そんなことはどうでも
いいのだが。

ようやくパリの住居も決まり、引越しの準備を済ませてきた。
とりあえず家具なしのアパートなんで、家具を注文したのだが、
配達に時間がかかるようで、とりあえずマットレスだけ買いに行く。
担当の兄ちゃんのフランス語がえらく聞き取りにくかった。
それ以外にも電気会社やガス会社に、電話の会社に
新しい契約についての電話などをする。いちいち聞き取りにくい。

そして携帯電話もプリペイド式のものをやっと買ってきた。
今まで日本で使っていてNTTDOCOMOのものをフランスでも
兼用していたのだが、電話料金もかかるし普通に電話を
かけるためにもフランスの携帯がほしかったのだが。
プリペイド式の携帯の申し込みをし、電話を購入し、とりあえず
パリにいる友達の電話番号を登録してみた。まだ2、3名の
登録だけなんだが。

こうやって、携帯電話の宛先登録が増えたり、電話や
ガスの請求書をもらうことは、少しずつフランスに慣れていくことに
他ならないんだろうなあ、などとぼんやり思った。

足あと

2011-10-10 03:46:08 | パリ右岸
愚痴とか不満とかやっかみとか言っているだけで
何もせずに時間だけすぎるよりも、なにか仕事を
したほうがいい、と早々と思ってしまうのはフランスに
来たからだろうか?

ホテルを抜け出して、シャイヨー宮に入っている
建築・文化遺産博物館(こんな訳か?)に行ってみた。
昔から行きたかったのだが、行くたびに人が並んでいて
入れなかったのだ。今日は、なんとかすいているようだ。
館内はゴシック建築のフランス各地の教会のファサードや
装飾、祭壇などが復元されていて模型とともに歴史が
よく分かるようになっている。上の階では、近現代の
建築がやはり模型や映像とともに展示されていて、
何時間もいても飽きない感じだった。

そのあとふと気が向いてカルチエラタンまで行ってみる。
わいざつなギリシャ料理街の前を通る。相変わらず観光客で
にぎわっているようだ、ギリシャはあんな状態だが。

初めてパリに来たときやはり同じようにカルチエラタンに来て、
旅行中に知り合った他の日本人の学生らと一緒に、
ギリシャ料理の店に行ったことを思い出した。
もう20年も経つのだ、あの頃から。何にも変わらない。


2009年夏のフランス(6)

2009-07-15 06:59:53 | パリ右岸
17区のほうに住んでいる、もうすぐ日本に帰国するという
友人宅に呼ばれて遊びに行く。彼と、彼の後任と僕の三人で
なんかよく分からないがダラダラと夜中まで話す。
歳がほぼ同じくらいの三人で(ということは3人とも
40歳か)、友人の後任は親が鹿児島出身ということで
しばし九州ネタで盛り上がる。種子島出身のおじさんもいるらしい。

話しているうちに、気がつけば午前3時。こりゃ地下鉄の時間終わってるよ。
どうしようか、と思っていたら、知らぬうちに眠りに落ちてしまい、
次の瞬間目を覚ましたら今度は午前7時になっていた。
しかも、話をしていた場所にそのまま。すげえ、口動かしたまま
その場で寝てしまったんだ。俺、学生の頃と何も変わってないっす。

2009年夏のフランス(4)

2009-07-11 00:01:26 | パリ右岸
MARTIN PARRの写真展。
PARRの選び出した世界各国の写真家の展覧会と
自身のおびただしい数のコレクション、そして自身の新作シリーズ。
という構成の大掛かりな展覧会にはお金持ちで俗っぽい世界から
非常に洗練された風景写真まで多くのパノラマを見つけられる。
額縁がまるで一つの窓のようで、それぞれの世界を窓から
覗き込んでいるような錯覚。

2009年夏のフランス(3)

2009-07-09 04:56:16 | パリ右岸
仕事の合間に、パリにもう20年近く住んでいるという
カメラマンさんと雑談した。一年前に日本に戻ったことを話すと
「日本とフランスとどちらがいいですか?」と質問された。
普通僕はこの手の質問をされると、「どちらにもいいところがあるし、
なんとも言えない」と極めて優等生的な答えをするのだが、
このときはなんだか自然に口から、「いやあ、フランスのほうがいいですね」
なんてスラスラ出てきたのでなんか自分で笑ってしまった。

写真はPONT SULLY近くの街角。

フランス出張4日目

2009-01-25 23:48:11 | パリ右岸
4日目の午後、打ち合わせが終わって夕食まで時間ができたので、
久しぶりにセルビア人の友人に会いに行ってみた。成田空港で買った
せんべいのお土産を持って。
僕はなんとも思わなかったのだが、包装紙の柄が非常に日本的だと
思ったらしく、「家に帰ってアレックス(彼の妻)に見せたいから
箱は破らないでこのまま持って帰る」と言って、中を見ようとは
しなかった。塩からいせんべいがあの夫婦の口に合ったのだろうか。

ベオグラードの観光案内カードなどをもらう。ちなみに日本語では
英語式にベオグラードと言っているが、
フランス語だとBELGRADEベルグラードだ。
アレックス(本当の名前はアレクサンドラだけど)
がベオグラードにいい仕事を見つけたので、パリを
去ってベオグラードに引っ越す、と前あったとき話していたのだが、
よく話を聞いてみると、いろいろ考えた末に、結局引っ越さないこと
に決めたんだという。もう何ヶ月も先のことまで準備していたというのに。
友人は相変わらず人懐こい顔で、そんなことを笑って話していた。

フランス出張2日目

2009-01-24 13:28:30 | パリ右岸
次の日は休日だったせいもあり、一日自由行動に。
ネットで検索すると、以前から見たいと思っていた
市立近代美術館のラウル・デュフィ展が最終日、ということもあり
市立近代美術館へ。パレドトーキョーに行ってみると、
「一部、報道で間違った日付が告知されていますが、
デュフィ展は先週終了しました」との張り紙が。
はあ、そうですか。

気を取り直して、ジャックマール・アンドレ美術館で
開催中のバンダイク展へ足を向ける。建物の前まで来たところ
40人ぐらいの行列ができているのを見る。うわあ、まだ
11時なのにもうこんな行列かい。寒空の下並ぶのはうんざりなんで
引き返す。

チュイルリー公園の中のジュードポンム美術館へ。
映像系の展覧会をやってないかと思ってぶらっといったのだが、
閉まってました・・・。新しい展覧会が来週から始まるので
設営のための休館だそうで。

と、あちこちの美術館に振られてしまい、ちょっとふてくされ気味で
公園の中を歩く。チュイルリーの中の池の一部に氷が張っているのを見る。
そのあと奥のほうにある、台風でなぎ倒された材木のオブジェ、
アールテポベーラの、ジュゼッペ・ペノネの作品をじっと見る。
ペノネのオブジェを見るとなんか心が落ちつく。なんでだろうか。
植物とか、自然とかと直結しているようなアートだからだろうか。
そんな簡単なことじゃないよな。

出張中のぼやき(続き)

2008-10-27 21:10:47 | パリ右岸
彼女は一人でいるときはひどく穏やかだ。
僕の友人がセルビア語で話しかけるときも、冷静に
落ち着いてしっかりとした口調で受け答えをする。
彼女は路上生活をやめようとしない。
一度は、公共のホームレスが寝泊りする施設に入れようと
したことがあった。少なくとも、屋根とベッドと食事が
保障されている場所だ。しかし、施設に入るなり
彼女は叫び出す。夜中じゅう、奇声を発し、うめき声をあげる。
すぐに施設から追い出されてしまう。これじゃ誰も眠れないと。
彼女は自分の意思でまた路上に戻っていった。
そして、さっき僕が曲がった路地に座っているのだ。