今日昼飯を同僚と食っていると、なぜか携帯に
昔の同僚のヴァレリーから電話がかかってきた。いい味出している
面白いやつだ。「何の用?」と電話に出ると、「ごめん、
電話番号間違った。他の人にかけたかったの」と言われて電話を
切られた。というか相変わらずおっちょこちょいな感じだ。
夕方スーパーで長い列に並んでいると、レジの女の子と目が合って、
「ムッシュー、この列はあなたで最後でお願いします」と言われてしまった。
大型スーパーでは、複数のレジが開いているが、ある時間になったら
計算のために交代でレジが閉まるのだ。とは言っても普通は
レジの列を閉めるためのバンド状のテープのようなものをある部分に
ぱっとかけるのだが、そのテープに行くまでまだ3人ぐらい並んでいる。
で、結局黙っているとどんどん人が並んでしまうので、
僕の後ろに人が来るたびに、「すんません、このレジもうすぐ
閉まるので、僕が列の最後なんです」といちいち言わされる羽目に。
ということで少なくとも4人ぐらいに断りを入れる。
レジの女の子はニヤニヤ笑って僕の番に来ると(というか僕が
最後尾なんで、もう後ろには誰もいないのだ)、
「フランス語だけ話すの?」と聞かれたので、「英語と日本語」
というと面白がって、知っている日本語の単語を言って見せた。
パリにもこういう好奇心の強い、若い女の子がいるんだなあ。
家に帰ると、昔から師匠と仰いでいる人からメールが来ていた。
東日本大震災で旅立った人への気持がつづられていた。
あまりに良かったのだ、ここに書いておこう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この世にあるかぎりは、断乎として、一日一日一刻一刻を、
めでたい歓びのおとずれのときとして迎えることこそ、旅立
った人への礼なのだと、自分にいいきかせました。
昔の同僚のヴァレリーから電話がかかってきた。いい味出している
面白いやつだ。「何の用?」と電話に出ると、「ごめん、
電話番号間違った。他の人にかけたかったの」と言われて電話を
切られた。というか相変わらずおっちょこちょいな感じだ。
夕方スーパーで長い列に並んでいると、レジの女の子と目が合って、
「ムッシュー、この列はあなたで最後でお願いします」と言われてしまった。
大型スーパーでは、複数のレジが開いているが、ある時間になったら
計算のために交代でレジが閉まるのだ。とは言っても普通は
レジの列を閉めるためのバンド状のテープのようなものをある部分に
ぱっとかけるのだが、そのテープに行くまでまだ3人ぐらい並んでいる。
で、結局黙っているとどんどん人が並んでしまうので、
僕の後ろに人が来るたびに、「すんません、このレジもうすぐ
閉まるので、僕が列の最後なんです」といちいち言わされる羽目に。
ということで少なくとも4人ぐらいに断りを入れる。
レジの女の子はニヤニヤ笑って僕の番に来ると(というか僕が
最後尾なんで、もう後ろには誰もいないのだ)、
「フランス語だけ話すの?」と聞かれたので、「英語と日本語」
というと面白がって、知っている日本語の単語を言って見せた。
パリにもこういう好奇心の強い、若い女の子がいるんだなあ。
家に帰ると、昔から師匠と仰いでいる人からメールが来ていた。
東日本大震災で旅立った人への気持がつづられていた。
あまりに良かったのだ、ここに書いておこう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この世にあるかぎりは、断乎として、一日一日一刻一刻を、
めでたい歓びのおとずれのときとして迎えることこそ、旅立
った人への礼なのだと、自分にいいきかせました。
年末・年始、結局休みになったが日本に帰ることもなくなったので、
フランス国内を旅行しようかな、と思っていたのだがいろいろ
おっくうになってしまいこの日になってしまった。
朝から家の中でブラブラしていたら、フランスの友人から
電話がかかってきた。近況報告の会話だったんだが。
よく考えると、1年前は大阪の南のほうに住んでいて、
あ~こんな生活いやだ、とかいいながら年末は福岡の実家に
新幹線に乗って戻ったような気がする。大阪だったから、
思い立ったら簡単に実家に帰れたのだ。
なんか大阪にいた頃が懐かしいような気持ちさえする。
あれから1年たってなぜか今はフランスに住んでいる。
さっき、テレビでサルコジ大統領の大みそかのあいさつが
放映されていた。大統領府で毎年のように放送されるものだ。
この放送はもう何度も見たことがある。
90年に大学生だったころ、フランスに語学留学していたのだが、
年末を過ごしたトルービルのウィークリーマンションで
大統領の演説を見た。その頃はフランス語が分からず
何言っているのかよく分からなかったが。
そして普通に留学していたころ、90年代半ば、ナントでも
この放送を見た。その頃はシラク大統領だったが。
なんか歳だけとったなあ、と思うことひとしきり。
2011年は希望の年にしたいなあ。
大みそかはフランスではnuit de saint sylvestre
というがいつもはひっそりとしている僕のアパルトマンの
ある界隈でも、賑やかになりそうだ。
フランス国内を旅行しようかな、と思っていたのだがいろいろ
おっくうになってしまいこの日になってしまった。
朝から家の中でブラブラしていたら、フランスの友人から
電話がかかってきた。近況報告の会話だったんだが。
よく考えると、1年前は大阪の南のほうに住んでいて、
あ~こんな生活いやだ、とかいいながら年末は福岡の実家に
新幹線に乗って戻ったような気がする。大阪だったから、
思い立ったら簡単に実家に帰れたのだ。
なんか大阪にいた頃が懐かしいような気持ちさえする。
あれから1年たってなぜか今はフランスに住んでいる。
さっき、テレビでサルコジ大統領の大みそかのあいさつが
放映されていた。大統領府で毎年のように放送されるものだ。
この放送はもう何度も見たことがある。
90年に大学生だったころ、フランスに語学留学していたのだが、
年末を過ごしたトルービルのウィークリーマンションで
大統領の演説を見た。その頃はフランス語が分からず
何言っているのかよく分からなかったが。
そして普通に留学していたころ、90年代半ば、ナントでも
この放送を見た。その頃はシラク大統領だったが。
なんか歳だけとったなあ、と思うことひとしきり。
2011年は希望の年にしたいなあ。
大みそかはフランスではnuit de saint sylvestre
というがいつもはひっそりとしている僕のアパルトマンの
ある界隈でも、賑やかになりそうだ。
職場も仕事納めで休暇に入り、1月の頭まで休み。
日本に帰国の予定もないし、かといってずっと家の中にいるのも
体に良くないので、近所をそぞろ歩きし始めた。
僕の住んでいるところはパリの右岸の、西側の、
住宅街なのだが、めぼしい商店街もなく、ひっそりして
地味な感じなのだが、オスマニアン建築のアパルトマンが
続く通りがあったり、ひとけない、忘れられたスクワールが
突然あったりして、なかなか散歩も面白いもんだ。
1週間近くの休みなんだが、どっこ旅行にでも行こうかな、
と思っている。まだ行く先を決めていないが。
写真は近所の公園。
日本に帰国の予定もないし、かといってずっと家の中にいるのも
体に良くないので、近所をそぞろ歩きし始めた。
僕の住んでいるところはパリの右岸の、西側の、
住宅街なのだが、めぼしい商店街もなく、ひっそりして
地味な感じなのだが、オスマニアン建築のアパルトマンが
続く通りがあったり、ひとけない、忘れられたスクワールが
突然あったりして、なかなか散歩も面白いもんだ。
1週間近くの休みなんだが、どっこ旅行にでも行こうかな、
と思っている。まだ行く先を決めていないが。
写真は近所の公園。

北朝鮮の国家主席が死去して世間は(とくに東アジア)は
緊張感が走っているが、フランスのほうは死去当日のニュースは
すさまじかったが、もう今日ぐらいになると、報道をやめてしまい
他のニュースを流している。それはそれで無理もない。
大阪の田舎で働いているときは、「世界に取り残されている感」が
ひどくて、世の中の激しい動きに、こんな田舎にいてはついていけない
という焦りがいつもあったのだが、実際に、国際政治の激動の
一つの極の中にあると言っても過言でもない、パリ市内に引っ越してみて
そんな世界の動きを肌で感じることがない。平凡な日常を送るだけである。
よく分からないのだが、結局は日常が一番重要なんだと思う。
それがその人にとってどういう日常なのか。
ということで写真は日常の通勤路。

緊張感が走っているが、フランスのほうは死去当日のニュースは
すさまじかったが、もう今日ぐらいになると、報道をやめてしまい
他のニュースを流している。それはそれで無理もない。
大阪の田舎で働いているときは、「世界に取り残されている感」が
ひどくて、世の中の激しい動きに、こんな田舎にいてはついていけない
という焦りがいつもあったのだが、実際に、国際政治の激動の
一つの極の中にあると言っても過言でもない、パリ市内に引っ越してみて
そんな世界の動きを肌で感じることがない。平凡な日常を送るだけである。
よく分からないのだが、結局は日常が一番重要なんだと思う。
それがその人にとってどういう日常なのか。
ということで写真は日常の通勤路。

もう10年ぐらい前から知っているフランス在住の
日本人の友人と久しぶりに会って、街をぶらぶらした。
夕食を一緒に、ということだったのでポンピドーセンター
界隈を歩いていたのだが、適当なレストランが見つからない。
よさそうな雰囲気のレストランはどこも混雑している。
市役所の界隈を歩いていたら、ひっそりとした通りに
面したレバノン料理のレストランが目に入った。
正直、いつも脂っこい物ばかり食べていた自分にとって
レバノン料理はあっさりしすぎて、これまで積極的に
関わりになったことはなかったのだが、友人も気に入っていたので
だまされた気分で店の中に。
店の中は誰もお客はおらず、ひっそりとしていたが
親切なレバノン人のおじさんがフランス語でなにやら
メニューの説明などしてくれた。
ナスのピューレ、レバノン・ムサカ、フライなどなど。
食が進む、進む。あっさりしているのにヘルシーで
コクがあって、うまいじゃないか、レバノン料理!
ということで結構、はまりそうな感じかも。
写真は全然関係ないエッフェル塔。

結構長い間ブログを投稿しなかったが、無理もない。
ネットが開通しなかったからである。
ホテルを出て、住宅関連ネットサイトでアパートを捜し、
大家と直接会い、契約条件を決め、電話やガス会社に電話し、
ネットの申し込みをし、と一人でいろいろやっていたら、
結局ネットの開通まで3週間以上経ってしまった。
不動産屋を通さないと、お金が節約できるが、何から何まで
独力でやらないといけないので、かなりきついかも。
今日はなんかの縁で、日本から来ている写真家の方と
お昼を一緒にする機会を得た。みんな自由な感じで、
うらやましいことひとしきり。内向的なまま大人になったような
人とかいて、ああ、自分と同じだと思ったりして。
しかし僕は会社員なので、勤務中というかお金が払われている
間は本来は内向的でも、社交的に人の話を聞いたり、
適当につきあったりとしないといけないのだ。
ネットが開通しなかったからである。
ホテルを出て、住宅関連ネットサイトでアパートを捜し、
大家と直接会い、契約条件を決め、電話やガス会社に電話し、
ネットの申し込みをし、と一人でいろいろやっていたら、
結局ネットの開通まで3週間以上経ってしまった。
不動産屋を通さないと、お金が節約できるが、何から何まで
独力でやらないといけないので、かなりきついかも。
今日はなんかの縁で、日本から来ている写真家の方と
お昼を一緒にする機会を得た。みんな自由な感じで、
うらやましいことひとしきり。内向的なまま大人になったような
人とかいて、ああ、自分と同じだと思ったりして。
しかし僕は会社員なので、勤務中というかお金が払われている
間は本来は内向的でも、社交的に人の話を聞いたり、
適当につきあったりとしないといけないのだ。
以前から知っているパリのセルビア人の友人の案内で、
セルビア人歌手のコンサートに行ってきた。コンサートと
言いつつ、小さなホールに30人ぐらいの観客がいるような
まるで西荻とかのポエトリーリーディングの会みたいなノリだが。
しかもほとんどフランス人と在パリのセルビア人ばかりで
アジア人は僕一人であった。といいつつ、そんなことはどうでも
いいのだが。
ようやくパリの住居も決まり、引越しの準備を済ませてきた。
とりあえず家具なしのアパートなんで、家具を注文したのだが、
配達に時間がかかるようで、とりあえずマットレスだけ買いに行く。
担当の兄ちゃんのフランス語がえらく聞き取りにくかった。
それ以外にも電気会社やガス会社に、電話の会社に
新しい契約についての電話などをする。いちいち聞き取りにくい。
そして携帯電話もプリペイド式のものをやっと買ってきた。
今まで日本で使っていてNTTDOCOMOのものをフランスでも
兼用していたのだが、電話料金もかかるし普通に電話を
かけるためにもフランスの携帯がほしかったのだが。
プリペイド式の携帯の申し込みをし、電話を購入し、とりあえず
パリにいる友達の電話番号を登録してみた。まだ2、3名の
登録だけなんだが。
こうやって、携帯電話の宛先登録が増えたり、電話や
ガスの請求書をもらうことは、少しずつフランスに慣れていくことに
他ならないんだろうなあ、などとぼんやり思った。
セルビア人歌手のコンサートに行ってきた。コンサートと
言いつつ、小さなホールに30人ぐらいの観客がいるような
まるで西荻とかのポエトリーリーディングの会みたいなノリだが。
しかもほとんどフランス人と在パリのセルビア人ばかりで
アジア人は僕一人であった。といいつつ、そんなことはどうでも
いいのだが。
ようやくパリの住居も決まり、引越しの準備を済ませてきた。
とりあえず家具なしのアパートなんで、家具を注文したのだが、
配達に時間がかかるようで、とりあえずマットレスだけ買いに行く。
担当の兄ちゃんのフランス語がえらく聞き取りにくかった。
それ以外にも電気会社やガス会社に、電話の会社に
新しい契約についての電話などをする。いちいち聞き取りにくい。
そして携帯電話もプリペイド式のものをやっと買ってきた。
今まで日本で使っていてNTTDOCOMOのものをフランスでも
兼用していたのだが、電話料金もかかるし普通に電話を
かけるためにもフランスの携帯がほしかったのだが。
プリペイド式の携帯の申し込みをし、電話を購入し、とりあえず
パリにいる友達の電話番号を登録してみた。まだ2、3名の
登録だけなんだが。
こうやって、携帯電話の宛先登録が増えたり、電話や
ガスの請求書をもらうことは、少しずつフランスに慣れていくことに
他ならないんだろうなあ、などとぼんやり思った。
愚痴とか不満とかやっかみとか言っているだけで
何もせずに時間だけすぎるよりも、なにか仕事を
したほうがいい、と早々と思ってしまうのはフランスに
来たからだろうか?
ホテルを抜け出して、シャイヨー宮に入っている
建築・文化遺産博物館(こんな訳か?)に行ってみた。
昔から行きたかったのだが、行くたびに人が並んでいて
入れなかったのだ。今日は、なんとかすいているようだ。
館内はゴシック建築のフランス各地の教会のファサードや
装飾、祭壇などが復元されていて模型とともに歴史が
よく分かるようになっている。上の階では、近現代の
建築がやはり模型や映像とともに展示されていて、
何時間もいても飽きない感じだった。
そのあとふと気が向いてカルチエラタンまで行ってみる。
わいざつなギリシャ料理街の前を通る。相変わらず観光客で
にぎわっているようだ、ギリシャはあんな状態だが。
初めてパリに来たときやはり同じようにカルチエラタンに来て、
旅行中に知り合った他の日本人の学生らと一緒に、
ギリシャ料理の店に行ったことを思い出した。
もう20年も経つのだ、あの頃から。何にも変わらない。
何もせずに時間だけすぎるよりも、なにか仕事を
したほうがいい、と早々と思ってしまうのはフランスに
来たからだろうか?
ホテルを抜け出して、シャイヨー宮に入っている
建築・文化遺産博物館(こんな訳か?)に行ってみた。
昔から行きたかったのだが、行くたびに人が並んでいて
入れなかったのだ。今日は、なんとかすいているようだ。
館内はゴシック建築のフランス各地の教会のファサードや
装飾、祭壇などが復元されていて模型とともに歴史が
よく分かるようになっている。上の階では、近現代の
建築がやはり模型や映像とともに展示されていて、
何時間もいても飽きない感じだった。
そのあとふと気が向いてカルチエラタンまで行ってみる。
わいざつなギリシャ料理街の前を通る。相変わらず観光客で
にぎわっているようだ、ギリシャはあんな状態だが。
初めてパリに来たときやはり同じようにカルチエラタンに来て、
旅行中に知り合った他の日本人の学生らと一緒に、
ギリシャ料理の店に行ったことを思い出した。
もう20年も経つのだ、あの頃から。何にも変わらない。
17区のほうに住んでいる、もうすぐ日本に帰国するという
友人宅に呼ばれて遊びに行く。彼と、彼の後任と僕の三人で
なんかよく分からないがダラダラと夜中まで話す。
歳がほぼ同じくらいの三人で(ということは3人とも
40歳か)、友人の後任は親が鹿児島出身ということで
しばし九州ネタで盛り上がる。種子島出身のおじさんもいるらしい。
話しているうちに、気がつけば午前3時。こりゃ地下鉄の時間終わってるよ。
どうしようか、と思っていたら、知らぬうちに眠りに落ちてしまい、
次の瞬間目を覚ましたら今度は午前7時になっていた。
しかも、話をしていた場所にそのまま。すげえ、口動かしたまま
その場で寝てしまったんだ。俺、学生の頃と何も変わってないっす。
友人宅に呼ばれて遊びに行く。彼と、彼の後任と僕の三人で
なんかよく分からないがダラダラと夜中まで話す。
歳がほぼ同じくらいの三人で(ということは3人とも
40歳か)、友人の後任は親が鹿児島出身ということで
しばし九州ネタで盛り上がる。種子島出身のおじさんもいるらしい。
話しているうちに、気がつけば午前3時。こりゃ地下鉄の時間終わってるよ。
どうしようか、と思っていたら、知らぬうちに眠りに落ちてしまい、
次の瞬間目を覚ましたら今度は午前7時になっていた。
しかも、話をしていた場所にそのまま。すげえ、口動かしたまま
その場で寝てしまったんだ。俺、学生の頃と何も変わってないっす。

MARTIN PARRの写真展。
PARRの選び出した世界各国の写真家の展覧会と
自身のおびただしい数のコレクション、そして自身の新作シリーズ。
という構成の大掛かりな展覧会にはお金持ちで俗っぽい世界から
非常に洗練された風景写真まで多くのパノラマを見つけられる。
額縁がまるで一つの窓のようで、それぞれの世界を窓から
覗き込んでいるような錯覚。
PARRの選び出した世界各国の写真家の展覧会と
自身のおびただしい数のコレクション、そして自身の新作シリーズ。
という構成の大掛かりな展覧会にはお金持ちで俗っぽい世界から
非常に洗練された風景写真まで多くのパノラマを見つけられる。
額縁がまるで一つの窓のようで、それぞれの世界を窓から
覗き込んでいるような錯覚。
仕事の合間に、パリにもう20年近く住んでいるという
カメラマンさんと雑談した。一年前に日本に戻ったことを話すと
「日本とフランスとどちらがいいですか?」と質問された。
普通僕はこの手の質問をされると、「どちらにもいいところがあるし、
なんとも言えない」と極めて優等生的な答えをするのだが、
このときはなんだか自然に口から、「いやあ、フランスのほうがいいですね」
なんてスラスラ出てきたのでなんか自分で笑ってしまった。
写真はPONT SULLY近くの街角。
カメラマンさんと雑談した。一年前に日本に戻ったことを話すと
「日本とフランスとどちらがいいですか?」と質問された。
普通僕はこの手の質問をされると、「どちらにもいいところがあるし、
なんとも言えない」と極めて優等生的な答えをするのだが、
このときはなんだか自然に口から、「いやあ、フランスのほうがいいですね」
なんてスラスラ出てきたのでなんか自分で笑ってしまった。
写真はPONT SULLY近くの街角。
4日目の午後、打ち合わせが終わって夕食まで時間ができたので、
久しぶりにセルビア人の友人に会いに行ってみた。成田空港で買った
せんべいのお土産を持って。
僕はなんとも思わなかったのだが、包装紙の柄が非常に日本的だと
思ったらしく、「家に帰ってアレックス(彼の妻)に見せたいから
箱は破らないでこのまま持って帰る」と言って、中を見ようとは
しなかった。塩からいせんべいがあの夫婦の口に合ったのだろうか。
ベオグラードの観光案内カードなどをもらう。ちなみに日本語では
英語式にベオグラードと言っているが、
フランス語だとBELGRADEベルグラードだ。
アレックス(本当の名前はアレクサンドラだけど)
がベオグラードにいい仕事を見つけたので、パリを
去ってベオグラードに引っ越す、と前あったとき話していたのだが、
よく話を聞いてみると、いろいろ考えた末に、結局引っ越さないこと
に決めたんだという。もう何ヶ月も先のことまで準備していたというのに。
友人は相変わらず人懐こい顔で、そんなことを笑って話していた。
久しぶりにセルビア人の友人に会いに行ってみた。成田空港で買った
せんべいのお土産を持って。
僕はなんとも思わなかったのだが、包装紙の柄が非常に日本的だと
思ったらしく、「家に帰ってアレックス(彼の妻)に見せたいから
箱は破らないでこのまま持って帰る」と言って、中を見ようとは
しなかった。塩からいせんべいがあの夫婦の口に合ったのだろうか。
ベオグラードの観光案内カードなどをもらう。ちなみに日本語では
英語式にベオグラードと言っているが、
フランス語だとBELGRADEベルグラードだ。
アレックス(本当の名前はアレクサンドラだけど)
がベオグラードにいい仕事を見つけたので、パリを
去ってベオグラードに引っ越す、と前あったとき話していたのだが、
よく話を聞いてみると、いろいろ考えた末に、結局引っ越さないこと
に決めたんだという。もう何ヶ月も先のことまで準備していたというのに。
友人は相変わらず人懐こい顔で、そんなことを笑って話していた。
次の日は休日だったせいもあり、一日自由行動に。
ネットで検索すると、以前から見たいと思っていた
市立近代美術館のラウル・デュフィ展が最終日、ということもあり
市立近代美術館へ。パレドトーキョーに行ってみると、
「一部、報道で間違った日付が告知されていますが、
デュフィ展は先週終了しました」との張り紙が。
はあ、そうですか。
気を取り直して、ジャックマール・アンドレ美術館で
開催中のバンダイク展へ足を向ける。建物の前まで来たところ
40人ぐらいの行列ができているのを見る。うわあ、まだ
11時なのにもうこんな行列かい。寒空の下並ぶのはうんざりなんで
引き返す。
チュイルリー公園の中のジュードポンム美術館へ。
映像系の展覧会をやってないかと思ってぶらっといったのだが、
閉まってました・・・。新しい展覧会が来週から始まるので
設営のための休館だそうで。
と、あちこちの美術館に振られてしまい、ちょっとふてくされ気味で
公園の中を歩く。チュイルリーの中の池の一部に氷が張っているのを見る。
そのあと奥のほうにある、台風でなぎ倒された材木のオブジェ、
アールテポベーラの、ジュゼッペ・ペノネの作品をじっと見る。
ペノネのオブジェを見るとなんか心が落ちつく。なんでだろうか。
植物とか、自然とかと直結しているようなアートだからだろうか。
そんな簡単なことじゃないよな。
ネットで検索すると、以前から見たいと思っていた
市立近代美術館のラウル・デュフィ展が最終日、ということもあり
市立近代美術館へ。パレドトーキョーに行ってみると、
「一部、報道で間違った日付が告知されていますが、
デュフィ展は先週終了しました」との張り紙が。
はあ、そうですか。
気を取り直して、ジャックマール・アンドレ美術館で
開催中のバンダイク展へ足を向ける。建物の前まで来たところ
40人ぐらいの行列ができているのを見る。うわあ、まだ
11時なのにもうこんな行列かい。寒空の下並ぶのはうんざりなんで
引き返す。
チュイルリー公園の中のジュードポンム美術館へ。
映像系の展覧会をやってないかと思ってぶらっといったのだが、
閉まってました・・・。新しい展覧会が来週から始まるので
設営のための休館だそうで。
と、あちこちの美術館に振られてしまい、ちょっとふてくされ気味で
公園の中を歩く。チュイルリーの中の池の一部に氷が張っているのを見る。
そのあと奥のほうにある、台風でなぎ倒された材木のオブジェ、
アールテポベーラの、ジュゼッペ・ペノネの作品をじっと見る。
ペノネのオブジェを見るとなんか心が落ちつく。なんでだろうか。
植物とか、自然とかと直結しているようなアートだからだろうか。
そんな簡単なことじゃないよな。
彼女は一人でいるときはひどく穏やかだ。
僕の友人がセルビア語で話しかけるときも、冷静に
落ち着いてしっかりとした口調で受け答えをする。
彼女は路上生活をやめようとしない。
一度は、公共のホームレスが寝泊りする施設に入れようと
したことがあった。少なくとも、屋根とベッドと食事が
保障されている場所だ。しかし、施設に入るなり
彼女は叫び出す。夜中じゅう、奇声を発し、うめき声をあげる。
すぐに施設から追い出されてしまう。これじゃ誰も眠れないと。
彼女は自分の意思でまた路上に戻っていった。
そして、さっき僕が曲がった路地に座っているのだ。
僕の友人がセルビア語で話しかけるときも、冷静に
落ち着いてしっかりとした口調で受け答えをする。
彼女は路上生活をやめようとしない。
一度は、公共のホームレスが寝泊りする施設に入れようと
したことがあった。少なくとも、屋根とベッドと食事が
保障されている場所だ。しかし、施設に入るなり
彼女は叫び出す。夜中じゅう、奇声を発し、うめき声をあげる。
すぐに施設から追い出されてしまう。これじゃ誰も眠れないと。
彼女は自分の意思でまた路上に戻っていった。
そして、さっき僕が曲がった路地に座っているのだ。