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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

タブッキ(続き)

2007-01-15 05:37:34 | 読書生活
今読んでいるタブッキの小説、Rebus(謎かけ)という
短編に次のような一節があった。

人生は約束のようなものだ、ただし、その約束がいつ、どこで、誰と
どのように行われるものか分かっていないことを除いて。時々我々は思う、
もしあんなことを言う代わりに他のことを言っていれば、
早く目覚める代わりに遅く起きていれば、今ごろ知らないうちに
まったく僕は違った人間になっているかもしれない、もしくは世界だって
違ったものになっていたかもしれない、と。
もしくはそんなことしたって、なんら変わりはないかもしれない、自分も、
世界も。いずれにせよ僕にはそれを知る由もない。

しかし、僕は例えば謎かけをするためにここにいるわけではない。
何の答えもない謎かけ、もしくは答えはあるけれど僕には分からない答え、
本当に時々、酔った勢いで友達に話すような答え。
謎かけをしようか。どんな風に君が答えを見つけるか。どうして君は
なぞなぞに興味があるんだい? 謎に心惹かれるのか?もしくは他人の
人生に飽くなき興味を持つ人間なのか?

PETITES EQUIVOQUES SANS IMPORTANCE

2006-12-04 20:52:41 | 読書生活
アントニオ・タブッキの小説、
petites équivoques sans importancesを購入。
重要でもない、ささいな曖昧さ
とでもなるんだろうか、直訳すると。
この本は85年に既にタブッキが発表していたのだが
フランス語版が出たのは今年だそうだ。ちなみに日本語版
は既に出ているはず。

それにしてもこのカバー。素晴らしすぎ。
Gérard Castello-Lopesの写真だそうだが、
リスボンの庶民的な街角がリアルに出ている。
リスボンってこんな風に人々に長い影ができて、
物憂げな延々と続く午後があるんだよなあ。

ロル・V・シュタインの歓喜

2006-09-22 05:51:34 | 読書生活
le ravissement de Lol V Stein

マルグリット・デュラスの最高傑作、
「ロル・V.シュタインの歓喜」のフランス語版を買って
寝る前に読んでいるのだが、これが最近の一番の楽しみ。
というか日本語訳(これがまた名訳なのだ)を何度も読み返し
フランス語でも何回か読んだのだが、全然飽きない。何度読み返しても
その魅力は尽きない、本当に傑作小説だ。

話はまったく簡単だ。若い頃の失恋を引きずった
ロル・V・シュタインが10年後にまたノルマンディーの
街に戻ってくる。失恋した相手はおらず、今の家庭で
また新しい生活を取り戻すのだが、ひょんなことから
かつての高校時代の親友の女性に再会する。
そして、かつての失恋による精神的外傷がまた眼を覚ます。

というように書いてしまうと、なんかおどろおどろしいが、
過去の精神的トラウマに対する感情の動き、人間の心の中で
起こっていること、そういったものがすべて描かれており
やっぱりデュラスは稀有の作家だったんだなあ、と思わずには
いられない、本当の傑作だ。ノルマンディーの乾いた空気、
街を歩くときに漂ってくる海の匂い、麦畑、ブルジョワ風の建築。
すべてデュラスの世界だ。

夏の雨

2006-08-08 05:48:08 | 読書生活
fnacに注文していたデュラスの『夏の雨』が届いた。
今度はfolioの文庫本サイズ。実はこの本は
大学生の頃、和訳されたものを読んでいたのだが、
原語で読むのはこれが初、ということになる。

アビニョンの演劇祭で見て以来、この戯曲というか
デュラスの文学作品が気になって仕方なかったので
すぐに飛びついて読み始める。

パリの13区の隣にある、荒れ果てたvitry sur seineの街が
浮き上がってくるような文体だ。移民の貧しい大家族の中に
生まれた天才少年、エルネスト。妹や母親との近親相姦的な
恋愛感情。開発という名の下に破壊される郊外の町並み。
学校制度や少年の天賦の才能に翻弄される家庭。
すべてがデュラス独特の孤高な文体の中で描写される。

やっぱデュラスの文学世界は唯一無二だなあ、と改めて納得。
同時に、「ロル・V・シュタインの歓喜」をフランス語で
読み返しているのだが、静寂や狂気、が支配してやまない
デュラスには脱帽させられる。
日本の演劇にありがちなやわな、「優等生的演劇」
を最近見せられて嫌な気持ちになったのだが、やっぱり人の心を打つ
芸術には極限の感覚と狂気が必要なんだなあ、なんて思ったりして。

love etc.

2006-04-03 05:01:15 | 読書生活
テレビで『LOVE ETC.』(1996)をやっていた。東京の
渋谷の映画館で観てからもう10年がたったのか。早い・・・。
昔からシャルロット・ゲンズブールは好きでこの映画も
3回ぐらい見に行ったっけ。

ちょっとテレビの番組批評欄を読んでみた。監督、
マリオン・ベルヌーがあまりにもスタイリッシュな
面に走りすぎて、それだけで終わっている。でも、同じテーマを
扱ったトリュフォーの「突然炎のごとく」には遠く及ばない、
など手厳しい。俳優の演技も酷評されていて、
「シャルロット・ゲンズブールはいつものように
退屈しているように見えるし、二人の男優(シャルル・ベルリング、
イバン・アタル)は好き勝手にやっている」
だってさ。

デスパレイト・ハウスワイブス

2006-03-05 16:52:23 | 読書生活
deparate housewivesというアメリカのTVシリーズ。
同僚がシーズン1のDVDを貸してくれたので、週末にかけて
ボチボチ見ようと思っていたら・・・、はまった。
テレビの前釘付け、5時間。こりゃ麻薬性があるぜ、このシリーズ。
見始めると終わらないのだ。

恋あり、サスペンスあり、犯罪あり、姦淫あり(あ、同じこと列挙してしまった)
日常あり、非日常あり、と精密に計算し尽くされたストーリー展開と
登場人物(4名の魅力的な主婦が主人公)のキャラクターについつい
はまってしまうこと必至かも。

タブッキの『さかさまゲーム』

2006-02-12 17:58:16 | 読書生活
FNACにこれといったあてもなく、ただぶらっと立ち寄ってみたら
アントニオ・タブッキ作品集『さかさまゲーム』が発売されているのを発見、
速攻で購入した。

僕がタブッキを知ってからもう10年近く経つが、もともと
タブッキが好きになったきっかけはこの作品「さかさまゲーム」
(le jeu de l'envers)なのだ。
何かトリックがあったり、言葉遊び的な要素が多く含まれている
文学作品というのは元来苦手で、どちらかというとざらざらと
した手触りのストレートなものが好きなんだが、この作品は特別。
元来イタリア語で書かれたこの作品の中には、ポルトガル語の会話、
謎解きのキーワードになる言葉はスペイン語およびフランス語と、
多言語が溢れている。まあイタリア人でポルトガル語を自由に
操るタブッキにはヨーロッパ言語を持って多言語なんて
観点から捉えないのかもしれないが。

さかさまゲームという子供の遊びを通して、情景描写と心理描写の
中の要素をすべてさかさまにひっくり返していくその手法にも脱帽。
登場人物の女性によって語られる人生と、彼女の死後、その伴侶によって
語られるまったく逆の人生。スペインとポルトガルという正反対の国。
登場人物の女性によって残されたキーワード、SEVERE(フランス語だと
「厳しい」とか「深刻な」という意味)。それをさかさまに
ひっくり返すとREVES(夢)となってしまう。
などなどいろんな要素が詰め込まれた本当に夢のような作品なのだ。

最後にいろんなものがさかさまになる、さかさまに見えてくる
瞬間をタブッキは、ベラスケスのラス・メニーニャスの画を
例にとって遠近法の「消失点」(point de fuite)と表現している。
タブッキは奥が深すぎて語りつくせないや。というか自分に
説明能力がないだけなんだけど。


ママがプールを洗う日

2005-12-16 06:58:00 | 読書生活
こんな人を食ったようなタイトルの短編小説集だが
実は自分にとっては大学時代から何度も読み返している
バイブルみたいな書物。何がいいかって、実際よく
分からないんだけれど。確かにスポーツライターとして
名高い山際淳司の翻訳はこなれていてツボを抑えている
んだけれど、それ以外に何か文学的価値が高いとか、
斬新なスタイルとか、そんなことはない。

どちらかというと、途中からからパラパラ読んで、
最後まで行かないうちに読みやめてしまったり、
何ページも飛ばしてよんだり、そんな読み方ばかりしている。

舞台はアメリカ。決して貧乏でもない、でも裕福でもない
すごい不幸でもない、でも現状に満足しきれていない
ミドルクラスの子供や若者が主人公。
ある短編の中で主人公が自問する。

たまに僕は間違った育ち方をしたんじゃないかと
思うんだよ。幸福に育ちすぎたのさ
~「夏・ポートランド」より

虚無感や浮遊感があちこちにあふれている短編小説が
ぎっしりつまっている。それぞれが自分なりに悩んだり
するんだけれど、その存在のつかみどころのなさゆえ
中途半端な風景しか人生に描けない。
多分僕自身、中途半端な人間だし、中途半端なことしか
やってきていないから惹かれるんだろうか、この本に。

何もかもが違って見えるわ、とジョーンは思う。
酔っ払っていて、あたりは暗く、風が吹いていて、
人生に変化が訪れようとしているときには。すべてが
違って見えるのだ。彼女はとにかく町に戻って、
もう一度やりなおしたかった。
               ~「結婚と異教徒」より