く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「石牟礼道子全句集 泣きなが原」

2015年08月30日 | BOOK

【石牟礼道子作、藤原書店発行】

 水俣病の実態をあぶり出した『苦海浄土』で知られる石牟礼道子は詩人、俳人でもある。句作は北九州を拠点に活躍した現代俳句作家、穴井太(1926~97)との出会いが契機となった。句誌「天籟通信」を主宰する穴井は1971年、戸畑の自宅に文学学校「天籟塾」を開設、その講師陣の1人として石牟礼を招いた。これをきっかけに俳句への関心を高め自らも句作を始めた。

       

 その15年後の1986年、穴井の手によって石牟礼の作品を収めた句集『天』が刊行された。本書にはこの『天』掲載の初期の作品41句や、学芸総合誌『環』(季刊)に2000年7月から今年5月にかけて毎回2句ずつ投稿した『水村紀行』の118句など、40年余にわたる作品213句を網羅する。

 タイトルの「泣きなが原」は大分県九重町の草原の昔の呼び名で、地元に伝わる「朝日長者」伝説に因む。九重町は穴井の生まれ故郷。石牟礼は穴井と九重高原を訪れ、そのススキの草原の美しさに魅入られた。「祈るべき天とおもえど天の病む」「死におくれ死におくれして彼岸花」。その頃の作品について穴井は『天』の編集後記にこう記した。「ふかい溜息のように一句を紡ぎ、紡ぐことによってわずかに己を宥める、まるで己の遺書のごとくに」。「泣きなが原」を織り込んだ句もある。「おもかげや泣きなが原の夕茜」。

 全句集の出版を藤原書店に働きかけたのは俳人の黒田杏子(ももこ)。黒田は解説『一行の力』の中でお気に入りの作品として2句を挙げる。一つは「祈るべき天と……」、もう一つは「さくらさくらわが不知火はひかり凪」。「この一句をお守りとも杖ともして、そののちの約十年……俳句修行者として、沖縄から北海道までこの列島の満開の櫻にまみえる『行』を重ねることができた」。

 解説では社会学者上野千鶴子との対談などでの石牟礼の発言も紹介している。上野の「3・11のときに何を感じたか」という質問にこう答える。「あとが大変だ、水俣のようになっていくに違いないって、すぐそう思いました」。上野の「水俣と同じことが福島でも起こる、と」には「起こるでしょう。『また棄てるのか』と思いました。この国は塵芥のように人間を棄てる」。

 東日本大震災と原発事故が起きた2011年の作品に「列島の深傷(ふかで)あらわにうす月夜」「毒死列島身悶えしつつ野辺の花」。俳人としても評価が高い石牟礼だが、自身の句作は「もともと独り言、蟹の吐くあぶくのようなもので、自分のことを俳人などとは露思ったことがない」そうだ。

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