【森田健司著、彩図社発行】
著者森田氏は京都大学経済学部卒業後、大学院に進学し博士号(人間・環境学)取得。現在は大阪学院大学経済学部で准教授を務める。専攻は社会思想史、日本哲学。著書に「石田梅岩―峻厳なる町人道徳家の孤影」などがある。本書のテーマは江戸時代に大衆の間で人気を集めた安価な情報媒体のかわら版。「はじめに」の冒頭で「かわら版を知ることは、江戸時代の民衆の心を知ることである」と記す。
「かわら版は江戸のタブロイド紙」「江戸の日本は怪異がいっぱい」「天災地変で大騒ぎ」「かわら版から読み解く江戸庶民の嗜好」「異国人と異国文化 そして崩れゆく幕府」の5章構成。29項目を立て50枚余のかわら版を紹介しながら、妖怪や化け物、大地震、庶民が熱狂した心中事件、敵討ちなど多彩な出来事の背景を読み解く。
最も古いとされるかわら版は大坂夏の陣を報じた「大坂卯年図」と「大坂安部之合戦之図」の2枚という。天変地異を速報した最古のかわら版は1783年に起きた浅間山の大噴火に関するもの。「朝間山大やけの次第」のタイトルで、火口からもうもうと立ち上がる噴煙の様子を描く。最も多くの種類のかわら版が発行された出来事は1855年の安政江戸地震。なんと600種類以上もあったそうだ。
かわら版全盛期の江戸後期に庶民の関心を集めたのは心中と敵討ちと歌舞伎俳優の話題。「読売心中ばなし」と題したかわら版(1847年)は若い女性3人の隅田川心中事件の経緯を上下2枚摺りで詳しく紹介する。江戸末期に発行された「忠孝仇討鏡」は87件の敵討ちを相撲の番付のようにランク分けしたもの。東は筆頭の大関が「伊賀越仇討」、関脇が「宮本武蔵仇討」、西は大関が「忠臣蔵仇討」、関脇が「天下茶屋住吉」となっている。
「神田橋外二番原辺にて敵討一件の瓦版1」は父を斬殺された武家娘による敵討ちをイラストとともに紹介する。このうら若き女性による敵討ちは江戸で大評判となり、他にも多くのかわら版が出回ったそうだ。森鴎外はこれを題材に1913年、短編「護持院原の敵討」を発表した。「江戸浅草 御蔵前女仇討」と題したかわら版は父の敵討ちのため道場に通って北辰一刀流の剣客となって悲願を果たした女性を取り上げる。
江戸末期になり黒船が現われ始めると、泰平の世も終わりが近づく。かわら版屋はそれまで役人の目を恐れ幕府批判と受け取られそうな政治的な話題を極力避けてきた。だが、その心配もなくなってくると、ありのままに書くように。季節の分かわれ目を指す「節分」というタイトルのかわら版は鳥羽伏見の戦いを風刺的に描く。添えられた絵には顔面が徳川家や薩摩藩、長州藩など様々な家紋になった人物が描かれている。