く~にゃん雑記帳

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<一乗谷朝倉氏遺跡> 戦国時代の城下町の跡がそっくりここに!

2015年08月14日 | 考古・歴史

【国の特別史跡、4つの庭園は特別名勝、出土品は重要文化財】

 一乗谷は福井市街の東南約10キロにある。戦国大名朝倉氏はここに整然とした城下町を築き、織田信長との戦いに敗れるまで5代103年間にわたって栄華を極めた。朝倉氏遺跡が国の特別史跡に指定されたのは1971年。それまで400年以上もそっくり埋もれて往時のまま残されていたのはまさに奇跡というしかない。

 一乗谷朝倉氏遺跡の中心は第5代当主義景の住まいだった義景館跡(上の写真)。その居館跡には唐門(下の写真㊧)から入る。この唐門は義景の菩提を弔うため江戸中期に建てられた松雲院の寺門。館跡の敷地の広さは約6500㎡で、17棟の建物が立っていた。それらの建物の柱を支えた多くの礎石が規則正しく並ぶ。『朝倉亭御成記』などの記述から、この館で1568年(永禄11年)、後の15代将軍足利義昭を招き盛大にもてなしたことが分かっている。

 

 館跡の南側の一角からは国内最古といわれる花壇(上の写真㊨中央)も出土した。東南隅に義景の墓所。毎年8月20日の命日に合わせ、朝倉氏遺跡保存協会が「朝倉氏五代追悼法要・地蔵盆」を行っているという。朝倉氏遺跡内の主要4庭園は1991年、国の特別名勝に指定された。義景館跡の一角にある「朝倉館庭園」(下の写真㊧)は庭石組が地上に露出していた他の3つの庭園と異なり、地中に完全に埋没していた。

 

 4つのうち最も古いのは「湯殿跡庭園」(上の写真㊨)で、4代孝景の頃につくられたとみられる回遊式林泉庭園。義景館跡を見下ろす高台にある。他の3つの庭園は5代義景時代の作庭。「諏訪館跡庭園」(下の写真㊧)は最も規模が大きく、上下2段の構成になっている。下段中央の滝添え石は高さが4m余りあり国内最大という。諏訪館は義景の夫人、小少将の屋敷跡と伝えられる。もう1つは「南陽寺跡庭園」。いずれも戦国時代の作庭を物語るように力強く豪壮な石組が印象的だった。

 

 一乗谷川を挟んで義景館跡の対岸には往時の武家屋敷や庶民の町屋などの街並み約200mが再現されている(上の写真㊨)。発掘された塀の石垣や礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基づき忠実に再現しているのが特徴。復元武家屋敷は東西、南北各30mの敷地を持つ。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館では「朝倉氏 越流(えつりゅう)を治める」と題し特別公開展を開催中(9月1日まで)。一乗谷川河川改修事業に伴う昨年度の発掘調査で見つかった戦国時代の河川跡と護岸遺構、新たに出土した五輪塔、中国製とみられる白地鉄絵壺の破片などの遺物類を展示・紹介している。

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