奈良盆地の中央部に位置する田原本町の今里地区と鍵地区で、2日「蛇巻き(じゃまき)」と呼ばれる伝統行事が行われた。田植えを控え豊作を祈る〝野神まつり〟の1つ。男子の成人を祝う意味も込められており、旧暦では5月5日(今は6月の第1日曜)に行われていた。400年余り前の江戸初期から続く行事で、文化庁により「選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を構ずべき無形の民俗文化財)」に指定されている。
【今里=長さ18mの蛇を担ぎ練り歩き、途中、蛇綱でぐるぐる巻きに】
蛇づくりは杵築神社境内で、法被姿の氏子たちの手によって午後1時ごろから始まった。材料は10日ほど前に刈り取った新麦ワラ。途中からは少年たちも加わり、掛け声に合わせて綱をよっていく。2時間後、長さ18mの蛇体が完成した。頭にお神酒を注いでお清め。参拝者や見物客にはワラに吊るされた〝ワカメの味噌煮〟が振る舞われた。少し甘くてなかなか美味。蛇の頭をかたどっているという。
蛇は午後3時半すぎ、少年ら約30人に担がれて神社を出発した。「蛇が入りやすいように表を開けてお待ちください」と地区内の放送。ほぼ全戸に当たる約90軒を次々に訪ねては大声で「おめでとう」と祝福して回った。その間2時間余。途中、数カ所で蛇が突然大暴れしては、少年らを蛇綱に巻き込んだ。巻き込まれた人は1年間、無病息災に過ごせるという。行事名の「蛇巻き」もここから来た。
神社に戻った蛇は境内にある榎(えのき)の大木に巻き付けられた。幹が分かれた高い所に、頭を今年の恵方・南南東に向けて載せる。クレーン車を使っての作業だったが、蛇の重みもあって据え付けにひと苦労。その後、胴と尾を何重にも巻いて、約40分がかりで〝昇り竜〟の形が完成した。その大木の下にある小さな祠には牛・馬を描いた絵馬と鎌・鍬などの農機具のミニチュアが奉納された。
【鍵=蛇の頭と胴を〝綱引き〟しながら集落内を練り歩く】
鍵地区は弥生時代の環濠集落で有名な「唐古・鍵遺跡」のすぐそばにある。鍵の八坂神社境内では今里より一足早く午前中から蛇づくりが行われた。ワラで作った大きな俵を組み合わせて頭を作り、それに長い胴をつける。こちらも2時間がかりの作業。榎の小枝で飾られた頭の重さはなんと160kgほどもあるという。
午後2時ごろ神社を出発。頭は氏子の男性や若者らに担がれ、その後ろの胴体を少年たちが持って集落内を練り歩いた。その途中、少年たちが「引っ張れ!」と蛇頭の前進を阻もうと引っ張って〝綱引き状態〟に。頭がじりじりと後ずさりする場面もしばしばあった。頭はもともと17歳になった若者が担ぐことになっており、綱引きには若者が仲間の少年たちから離脱する通過儀礼の意味合いが込められているそうだ。
集落内を巡った蛇はその後、八坂神社から少し離れた田原本北中学校前の小さな公園まで運ばれた。頭は榎の根元に置かれ、胴は上の枝に張り巡らされた。今里が〝昇り竜〟なのに対し、鍵はその形から〝降り竜〟といわれる。この後、神社では蛇巻き行事の無事終了を祝って、にぎやかに直会(なおらい)が行われた。