心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

さよならは

2016年11月23日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

夕暮れが早まると
さよならの声も近くなる

同じ一日なのに
さよならがこんなに早くやってくるなんて
一年の終わりは
さよならの時間も早くなって
また明日、と言ってもいいのかしらと
戸惑いを感じるほどで

空が群青色に染まっていく
かすかに昼の青さを残して
夕暮れは皆気ぜわしいから
誰も空が闇に浸食されていくさまを
見届けようなんて
じっくり見ようなんて
思わないのかもしれない

さよなら
また明日
さよなら
今日のわたし
さよなら
さよなら
いくつかの大事なものへ
さよならのことばをかけて
夕暮れはわたしを包み込んでいく

※※※

ひとりぼっちじゃないよね
傍らに佇むすっかり葉の落ちた樹にそっと触れてみる
そのごつごつしたむき出しの肌の中を
地中からくみ上げた地下水が流れていく
毛細血管のように張り巡らされた中を
生きるために作られた
樹というものが存在するために

太古の昔から
樹はそういう仕組みで生き延びてきた
たとえ世界に一本しかなくても
ひとりぼっちという言葉では言い表せないほどの
孤独を抱え込みながら
自分の一生を全うしようとしているのだ

※※※

13年目に入ります

2016年11月23日 | ほんのすこし
いよいよ今日からgoo開設13年目に突入です。
昨日まで12年間、お疲れさま。よく継続できました、と自分で自分を褒めています。
何度も何度も「止めよう」と思い、更新も途切れがちになりながら、こうして細々と継続してくることが出来た、それがなんだか今のわたしに力強いものを与えてくれているような気がします。

12年の間には大きなことがありました。
まず、開設前。2004年の三月には、わたし自身の病気が突然発症し、くも膜下出血で救急車で搬送される事態に。
たまたま家にいた息子に助けられました。息子がすべて手配してくれました。頼れる存在になっていたということに後になって知らされたのでした。
三人の医師による6時間の手術後、三分の一の確率で助かっても後遺症が残ると言われましたが、額のへこみ(手術に必要な肉?のため)が残ってしまったというだけで、衣食住には何も問題がなくこれまでと同様な生活が出来る目覚めとなりました。後遺症が無いということはなんと素晴らしいことでしょう!

でも、わたしを待ち受けていたのは手術よりも何よりもその後の生活の変貌でした。
詳しいことはここに書くことはできませんが(いつか書くことがあるのでしょうか、無いと思います)、二ヶ月後わたしは一人暮らしを始めます。
そして11月23日、ブログを始めたいと決心します。その決心までのわたしの心境変化については暗すぎるので書きません。

あれから娘が卒業・就職。つぎに息子が卒業・就職。
その間に父が亡くなりました。母の入退院の繰り返し。

娘が結婚。次の年には息子が結婚。その間に弟が亡くなりました。

娘に子供が生まれました。昨年は息子にも子供が生まれました。そして今年は娘に二人目の子供が生まれました。

あぁ、この世はなんて喜ばしい。
どんなに辛いことがあっても、生きてさえいれば何かしら自分に残されるものがあるのだと。
わたしがこの12年間暮らしてこれたのは、暮らすことに甘えてこれたのは、それだけのものをいただいていたという証なのだけど、こんな状態がいつまで続くのかという不安感もあって。でもそれが息子の結婚ではっきりとして。
その後不安定な精神状態が続いたけど、今はすっかり落ち着いている。

ずっとずっと母がそばにいて家族が遠くから見ていてくれた。黙ってみていてくれた。
わたしが自殺するんじゃないかと思っていたよ、といつだったか話してくれた母。当時のわたしにはそういった悲壮感が漂っていたのかもしれない。
でもね、今はほら! こんなに元気だよ。
わたしが元気になれたのはあなたたちのおかげだよって家族に言いたい。
そしてわたしがここで継続できたのは、温かいコメントを残してくれたり、いつも訪問してくれた沢山の方の目に見えない気持ちがあるからだと思いたい。

12年の間に色々なことに挑戦し、挫折し、このブログタイトルにある「心の色を探して」今なお発展途上にあると思えてならない気持ちでいることが出来るのは、皆さんのおかげだと胸を張って言うことができる気がしています。
ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いいたします。



刈り取りの後

2016年11月22日 | ほんのすこし
収穫されました。新米が出回っています。
田んぼにはもう何も残っていません。あんなに稲の中に入り込んでいたスズメたち、一体どこへ行ったんでしょうね。
冬に食べるものがなくて、どこで食べ物を探しているのでしょうね。

すっかり刈り取られた稲わらも無い、田んぼ。
やがてこの上に白いものが降り積もる。

雪国の空は曇る。
視界の上半分を覆い尽くすようにして白いものが後から後から降りてくる。
目の前の田んぼがやがて白いものに埋もれていくのを人々はただ当たり前の日々だと受け入れるしかない。

明日から雪が降るとか。
いよいよ冬に入り込んだか?
明日は叔母が帰ってしまう。
そんな寒い日に。
母の心も寒くなるだろうな。

出動準備!

2016年11月22日 | ほんのすこし
さあ、いつでも来い!
赤や黄色や黄緑、オレンジの除雪車が勢揃いしている。色だけ見たらカラフルでいいね。
この場所から正義の味方の出動だ(笑)。

今年の冬はどんな雪降り?
活躍の場はあるだろうか。でも活躍の場が多いというのも困りもの。
できればこのまま準備オーケーで並んだままでいてほしいのだけど。
だけど運転する方にも生活がある。
出動できなければお給料もらえないのだろうな。

空を見上げてお願いする。
適度な雪を降らせてください。
除雪車の運転が過度すぎず、お給料もらえるぐらいの雪降り状態にしてね。

でも、よく考えたら、除雪の請負って二つあるってどこかで聞いたな。
一つは出動回数で支払われるというもの。
もう一つは一冬でいくらって契約するもの。
出動回数で計算されるのなら、雪がいっぱい降ったほうがいいのだろうけど、逆に一冬いくらだったら、雪が少ない方がガソリンもかからないしいいだろうね。でも大雪の年にその契約したら経費が嵩(かさ)んで、収入より出費が多くて赤字だろうね。契約内容も一種の賭みたいなもんだね~。

なんて、勢揃いした除雪車を見ながらふと思う。
黙っていても雪は降る。
明日から三日間雪マークが予報に付いている。除雪車が出動するほどの雪にはならないとは思うけど。
寒いのは間違いないだろうね。
ぶるっ。
想像しただけでなんだか寒くなってきた(笑)。

いつかの夕暮れ

2016年11月21日 | ほんのすこし
少し前の夕暮れ。
早い時間。
夏にはずっと遅い時間に見えた光景が、今はどんどん早くなっていく。

一年ってこんなに早かったんだと、改めて感じる。
自分の時間軸がぶれていないよね?
なんでこんなに早いの?

そんな気分になってしまう夕暮れの早さに驚いてしまう。

母の所からの帰り、いつもよりずっと早くなる。
窓の外を見て暗くなっていくと、心配して母が言う。
「暗くなると運転が大変だから、早く帰れ」
促されて帰り支度を始める。
冬に向かってどんどん早まる空の暗さ。
東北の空は暗くなるのが早い。
季節が冬ごもりを始めた。

縮こまって暮らすことにも飽きた。
もっとのびのびと暮らしてみたい。
そんな気分があることに着手することにさせた。
この冬、雪捨てに悩むことはなくなるだろう・・・ だといいが。
密かな期待感にわたしも母もちょっと踊っている。

なにげなく見て

2016年11月21日 | ほんのすこし
朝のゴミ出し。
何気なく外を見て、昨日が雨だったせいかとても新鮮に見えた。
急いで部屋に戻りまた外に出た。

線路はさびついた部分をさらけ出し、ススキは最後の色を見せている。
すべてが秋の終わりを告げているようで、その中にかろうじて緑が見えた。
深まりゆく秋。
やがてバトンタッチすべき季節への準備は着々と進んでいるようだ。

ちょっと昨日が今日みたいな天気だと良かったのに・・・ と思ってしまった。
でも、よく考えたら失敗するところをもっとたくさんの人に見られたかもしれないってことだよね。
そう思ったら昨日で良かったかな、なんて自分中心な気持ち。
なんだかんだいいこと言っても自分中心なんだなあ。

お昼までかかって仕事(だと思っている作業)を完成し、送信。
いつもこれでいいのか、という思いが残る。
後二年、いつまでやる気なの? という視線が見える気がして、なんだか今日は仕事をしたという気持ちになれなかった。
でもまた新しいものが届いたし、継続していいんだよね、と自分に言いきかせる。

やりたいこと探し、なんて言っても、きちんと仕事をしてからだよね。
仕事も中途半端じゃ、わたしって宙ぶらりん。
最近は仕事を辞めたときのことばかり考えているような気がする。
そんなのあっという間に来るというのに、目の前のこともきちんと出来ないで何が辞めてからのこと、だよね。
うん、今日の反省はしっかりした(笑)。
次の作業に取りかかろう。




ちょっと調子が

2016年11月19日 | ほんのすこし
う~んん、ちょっと調子が悪い。
というか、自分を甘やかしすぎなんだな。うん。

昨日は母の84歳の誕生日。張り切って準備した。そのことについては後ほど書きたいけど。
夕飯を一緒に食べ、叔母と母と三人で昔語りにいそしんだ。
すごく楽しかった。辛い話もあったけど。

なのに、このていたらく。朝早くから錦織選手の試合を応援しながら、その後ぐったり。声を出すのをはばかられた(集合住宅の辛さよ)が、つい応援に熱が入った。
その後はもうぐだぐだだ。

今もなお回復せず。
いや、試合がどうのこうのって訳じゃないことは重々承知の助だ。
自分が悪い。土曜日だという甘えもあるし。朝からなんてこったの具合の悪さ。
午後には叔母を温泉に連れて行くとしっかり約束してきたのに。

もう、寝る!
いや、眠りたい!(笑)

秋の終わり

2016年11月19日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

音もなく舞い落ちたのだろう
後から後から降る雪のように

手の平に落ちるとその身を消し去る雪とは違い
風が運ばない限りそこにとどまって
終の棲家として
秋の終わりを敷き詰めている

ただあなたたちがそこにいるだけで
ココロにひゅるんと風が吹く
もしかしてわたしもこの中に入り込んではいないかしら

数え切れないものの中のたった一枚の銀杏の葉は
形が似てはいるけれど
そのどれもが一枚の銀杏の葉
わたしが手にした銀杏の葉は世界に一つしかないあなた

ここに在るのは
世界に一つしかないあなたたちの群れ
秋の終わりを敷き詰めるためにいるのね

※※※

母がまた一つ年を取った
よくここまで生きてこれたよ、と
何度も何度も繰り返した
母こそが生きている奇跡だと
そう言ってほしかったのかもしれない

※※※

アディショナルタイム

2016年11月18日 | ほんのすこし
今回のドラマで不評だとされているのが『Chef~三つ星の給食~』ですが、わたしも初回を見て次からは録画を止めようと思ったのでした。
でも、三回目をリアルタイムで見てからまた予約録画をしてもいいなと思い始め、今は楽しんで見ています。なんたって美味しそうなんですもの。
それに今回の回は、内容も良かったと思っています。
オニオングラタンスープに込められたふたりの過去、それが交錯したときにわかる真実。
ずっと気になっていたのですよ。
なぜこの子はそんなにも敵対視した目で言葉で相対してきたのだろうって。

不覚にもそれが思い出のスープで蘇り、真実がわかる。

『Chef~三つ星の給食~』

詳しいことは番組サイトでね。

で、記事にしたのは、この回で主人公が言った言葉なんです。
「アディショナルタイムは、失われた時間じゃなくて、与えられた時間だ」って。

なんだかこの言葉を聞いた途端に、あーーー!!! ってココロの中で叫びたくなったんですよ。
人生をやり過ごしてきて、過去を振り返って、あぁすれば良かった、あのときあんなことしなければ良かった、とか戻って修正できるものならって何度も思ってきたけど、もしかしたらわたしの人生の後半はアディショナルタイムなんじゃないかって。
そう思ったら、これからの時間は与えられた時間であって、何も過去をどうこうしたいとか思わずにこれからが大事な時間なんだよって。

ドラマでも互いの過去の誤解が溶け、これからの関係が明るくなっていくような予感がしました。

きっと、今生きている今日からがわたしのアディショナルタイム。
手術後、生かされていると感じたあの頃の思いがまた蘇ってきました。
もしかしたらそのまま帰ってこなかったかもしれないわたしの人生。
それが今こうしてここにいる。
有り難いことだと感謝して生きると決めたのに、雑多な中で失われていった思い。
それを思い出させてくれたドラマの言葉でした。