心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

またまた雪

2019年03月25日 | 母のこと
昨日に続き、今朝はさらに雪!
ずんずんと降り積もっている。これはウォーキングは無理だな・・・ 三時前から目が覚めて二度寝が出来なかったわたしにとって、朝のウォーキングが無くなったのはかなりガッカリ。
さらに部屋が寒い! 

そっと母の眠っている部屋を開けて、ストーブの設定温度を上げてきた。寒くて起きるときに部屋が暖まっていないと風邪を引かせてしまうからね。
それにしても、この雪はどうしたものか。
朝、起きてきた母に「これってひどいよね」って文句をぶつくさ言うと
「だって、今まで雪が降らなかったほうがおかしいよ。やっぱり少しは降っておかないとな」と言われました。う~ん、そういうもんなのか?

タイヤもスタッドレスじゃないから、雪が降り止んでから運転することにしました。お昼近くになってようやく雪が降り止み、恐る恐る運転。夕方母のところに戻るまでに雪は溶けてくれているかなあ。
確かにまだ三月だものね。
父が亡くなった年は四月に入ってからも雪が降り止まなかったことを思い出しました。母も同じようで二人で「あのときはすごかったよね~」と。
その父が唯一、花の名前で知っていたという君子蘭。その君子蘭が咲くと嬉しそうにしていたと母が教えてくれました。あのとき、父が亡くなった年は君子蘭は咲いてくれませんでした。それから何年かしてからようやく花が咲いたことを思い出しました。
それから毎年咲き続けています。
そのことに何か意味があるのかしらとちょっと思ってしまうのですが、自然の営みには不思議さがあるから、そこに人間の意図など介入することはないのでしょう。ただ、人間の都合良さで何かしら意味を持たせたくなるのでしょうね。

だから、君子蘭を見る度に、「今年も母のために咲いてくれている」と思ってしまいます。
父のことを思い出せるように、って。
痛む足を引きずりながらようやく玄関に行く母は、必ず君子蘭を愛でるように見ます。若い株と古い株、こんなに大きくなったんだよ、そう教えてくれます。そういいながら母の脳裏には父とふたりで過ごした時間が浮かんでいるのでしょう。
最近、本当に弱くなってしまった母。数歩歩くだけで息切れするようになりました。足は踏ん張れず、すり足で少しずつ進むようになりました。
これが暖かくなることで回復していくといいのですが・・・

話は変わって、母が楽しみにしている番組が今日あります。『大奥』
時代劇が大好きな母にとって、BSではなく地デジでの時代劇放映は珍しく期待しているようです。わたしも一緒に見ることになりそうです♪



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4 コメント

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Unknown (rikocherry)
2019-03-26 14:15:29
けいさんへ
君子蘭のお話
涙が溢れてしまいました。
今色々あって、でも自分がしっかりして安心させるのが親孝行。
きっとこれが、私の母への集大成

大切にして下さい。お母様。
一緒に過ごす愛しい時間。

完全看護ですが、母のそばで夜を共に少しでも過ごしたいです。
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rikocherryさんへ (けい)
2019-03-27 11:38:41
昨年、良くなったと思っていましたが。大変な状態なのですね。
そばにりこさんがいてくれる、それだけでどれだけ心強いものがあるかと・・・
ひとときひとときを大事に過ごされていることと思います。少しでもその時間が長いことを願います。

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Unknown (rikocherry)
2024-02-11 06:01:54
おはようございます
久しぶりに、ゆっくりお邪魔しております
足跡も残さないのも失礼かと思いコメント残して行きます
自身のブログが更新していなくても、こうしてけいさんの日記に書いたコメントで、その時の心情を辿ることが出来ました
母と会えなくなってまる5年
毎日私なりに忙しくも元気にやっております
夢でも会いたいと思うのですが、私のところには、もう何年も出てきてくれません
姉のところには、出てきてくれていると言うのに‥‥
父も私と同じ事を言ってました
まぁ、社交家な母ですから、きっと楽しく忙しく過ごしているのだと思います
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rikocherryさんへ (けい)
2024-04-02 16:50:33
こちらにコメントを残してくださっていたのですね。
自分の書いたものなのに、なんだか新鮮な気分で読み返しています。コメントがなかったら振り返ることもなかったのかなあ。
ブログを止めようと思ってもやめずにいるのはこうした古い記事を読み返したいという気持ちがあるからかもしれません。
夢の中に出て来てくれない・・・わたしも亡くなってから一度くらいかな、出てきてくれたのは。自分の行動で反省することがあるとつい母に小言を言われそうだと首をすくめることが。こんなとき母だったらどうするかしらと考えてみたり。
今でもわたしの中に母の存在は大きなものとしてあるみたいです。
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