心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

出来るのかしら…

2019年12月05日 | ほんのすこし
今になってびびってるわたし。
今週の日曜日にウクレレ発表会、というか演奏会があり、わたしの参加しているグループはビートルズの『yesterday』を演奏することに。他のグループとの合同演奏なので歌い手はふたりだとか。
今までわたしは地声で歌う方を選んで歌ってきたけど、ザビのところがどうも声が出ない。
今日、裏声で歌ってみたら、ザビは案外すんなり歌えた。でもなあ、今まで地声で歌ってきて、当日リハーサルで裏声ってどうなんだろ?

先生が言うには今回は演奏を楽しむってことでいいんだと。でもぉ、入場無料とはいえ、聴いてもらうお客様がいるからね。声が出ません、では済まされないんじゃないかなと…
声じゃなくウクレレを聞きに来たのよって思えばいいのかもしれないけどね。
日曜日まで悩みはつきなしなわたしであった(笑)

あ、忘れてました❗
画像は、演奏会あとのメンバー懇親会で余興に「やります!」と手を挙げたわたしが選んだ曲。大好きなので、歌えるってだけで有頂天。
でも、手を挙げた後ですでに後悔が…
出来るのかしら…
とほほ、わたしって勢いに乗っかりやすいのよね〜


お熱いことで

2019年12月05日 | 母のこと
わたしが2004年11月にgooにブログを開設して、2006年3月に父が亡くなりました。
その少しの間に、父と母のことをここに少し書いていたのですが、そのときどきの二人の様子を見ていたときには、まだ父が亡くなるとは少しも思っていなくて、何度目かの入院でも必ず退院してくるものだとばかり思っていました。最後の入院のとき、娘の大学の卒業式があり、なるべく早く帰ってくるからねと話して、病室から出ていったわたしです。
卒業式も終わり、なんとなく気持ちが急いて、ゆっくり娘と過ごすこともせず戻ってきました。二泊三日か一泊二日だったと思いますが、東京から戻ったら、父が病室で嬉しそうな顔をして待っていたのを今も思い出します。母に何度も
「○子はまだ帰ってこないのか?」と訊ねたそうです。
そして、わたしが戻るのを確かめるようにその少し後に亡くなってしまいました。

わたしのことを待っていた父ですが、実は父がもっと待っている人がいました。それは母です。
父が入院していた頃、残念なことに母が骨折をしていて、毎日病院に付き添いすることができず、わたしが母の代わりにずっと行っていました。たま~に母を連れていくこともありましたが。そのたま~に連れていった時のことです。

2006年3月8日のブログ。

※※※

『お熱いことで(笑)』

今日も父のところに、母を連れて。
っていっても 母は骨折で療養中なので そばで見ているぐらいしかできない。
それでも父のところに行くと あれやこれやと注文をつける。
わたしの気がつかないところに 気配りできるのはさすがだ。
歩くのはそろりそろりと。

そんな母が 洗い場にスプーンを持っていった。

父「母さんは?」
私「スプーンを洗いに行ったんじゃないの?」

昼食を食べ終わって 私はベッドに座っていた父の背中をさすっていた。
ごつごつと骨をなぞると、父は少し気持ちがいいみたいだった。

しばらくすると 母が今度はトイレに行った。
母がいないことに気がついた父は またしても
「母さんは どこに行った?」と。
私「また?トイレだと思うよ。父さん 心配しすぎだってば」というと。
ちょうどそこへ母が戻ってきた。
父「だって大事な母さんだもの」と私に小さくささやいた。

そうですか そうですか。背中をさすっている私よりも いなくなる母のほうが大事なんですか と 言うのは野暮というものでしょうね♪

※※※

こんなふたりだったんだなあと最近よく思い出します。母は今、寂しくないかしら・・・