経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

21世紀の緊縮レジームを超えて

2016年01月02日 | 基本内容
 2016年は、日本がデフレ経済に転落してから20年目にあたる。この間、同じ失敗を繰り返してきた。金融緩和による円安での緩やかな回復、緊縮財政による好循環の阻害、そうこうするうちに、円高へ弾けて成長が失速し、更なる金融緩和を求めるというパターンである。これは、金融緩和、緊縮財政、規制改革を組み合わせれば経済成長を実現できるというイデオロギーに基づくものである。

 アベノミクスは、異次元緩和の下での回復、消費増税による成長の急停止とたどっており、あとは円高株安への巻き戻しによる破綻を待つ状況となっている。来年度はGDPの1%近い緊縮財政を決定しており、貿易収支の黒字化が進行しているのだから、世界経済の転がり具合で、それはいつ起こってもおかしくない。我々が認識しておくべきは、そうなった時でも、対応する術はあるということだ。

………
 緊縮レジームとは、成長への投資を引き出すのに、金利を下げ、法人減税を行い、社会保障を圧縮して負担を軽くし、企業の収益率さえ高めれば良いとするものだ。当然、金融緩和は必須だし、金利上昇の回避に緊縮財政も付き物である。減税と負担軽減には、小さい政府が都合が良い。これらは、経済界や金融界のみならず、財政当局や中央銀行にも熱烈に支持される。

 残念ながら、これでは、設備や人材への投資は出てこない。増えるのは資産への投資だけである。なぜなら、実物投資は、需要を見ながらなされるからだ。現実の経営者は、収益率より、需要リスクに強く支配される。多少、収益率が高くても、需要が見込みより減退すれば、巨額の投資がムダとなり、大損する恐れがある。ゆえに、アベノミクスの下、「最高益でも設備投資は伸び悩み」という現象が起こる。

 教科書の経済学は、緊縮レジームを崇める司祭でしかない。人は利益を最大化すべく行動するから、収益率に従うはずであり、設備投資にリスクがあるにしても、期待値で決まるとする。しかし、人生は限られ、リスクの時間的分散には制約があるため、実際には、大損を避けようと、期待値がプラスでも、あえて機会利益を捨てる行動を取る。こうした本質への洞察が「人は死せるがゆえに不合理」とする本コラムの核心である。(参照:2013/11/3)

 したがって、経済政策において、リスクを癒す需要の安定は不可欠となる。金融緩和などによって、いかに収益率を高めようと、緊縮財政を並行させ、需要増への期待を打ち砕いては、すべて無効となる。これは、不況だから財政出動をと説くものではない。需要を安定させ、リスクを取り除いて初めて、収益率に従う合理的な行動が現れ、経済は成長する。緊縮レジームを超えるとは、そういう意味である。 

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 では、どうやって需要を安定させるのか。通常、金融緩和をすれば、通貨安で輸出や外国客が増え、住宅投資が上向き、資産高で贅沢消費が潤い、これらによる需要が設備投資を促す。金利低下が、直接、設備投資に効果を及ぼすのではない。あとは、緊縮財政でわざさわざ需要を相殺しなければ良いだけだ。ただし、こうしたルートが塞がっている場合がある。バブルが弾けた後は、特にそうだ。

 金融緩和と緊縮財政の組み合わせはバブルを生み出す。緊縮がいるのは、消費を削って物価を抑えないと、緩和を続けられなくなるからだ。金融業で手っ取り早く儲けるには、これが最も望ましい経済運営となる。厄介なのは、そうして住宅や資産のバブルが弾けてしまった後である。需要をテコ入れしようにも、住宅と資産のルートは潰れている。結局、残る外需ルートの争奪となって、通貨安競争に墜したり、国際競争力と称される法人減税や福祉削減が蔓延したりする。

 これを癒せるのは、連帯の教えたる社会保障である。もっとも、需要をもたらすだけなら、高速道路や軍備拡張でも構わない。過去には、それらで大不況を克服した悲しい歴史もある。大切なのは、社会保障には、需要の提供だけでなく、資本主義を持続可能にし、効率的にする役割もあることだ。経営者が目指すのは、せいぜい中期に及ぶ利益の最大化であり、次世代の育成といった超長期にまでは目が届かない。(参照:2015/3/8)

 資本主義を持続可能にするには、少子化という名の収奪を防がねばならない。若者を非正規で安使いし、結婚できなくすることは、木を切って植林しないのと同じだ。貪欲に思える企業も、普段は植林に努めるし、経営者は、利益と同時に成長も志向し、設備や人材に投資しようとする。しかし、政府が緊縮財政を敷き、木材価格が低迷すると、植林どころではなく、投資と賃金を最大限に削り、とにかく会社の生き残りを図る。こうして、緊縮財政が執拗に繰り返され、少子化対策が後回しになると、日本のような持続不能な社会が出来上がるのである。

………
 さて、年の初めは、昨年のピケティに続き、今年はアンソニー・B・アトキンソンの『21世紀の不平等』を選んだ。本書で一つもの足りないのは、アトキンソン自身が、不平等の削減に、完全雇用と再分配の両方が必要としながらも、どうすれば成長できるかには触れず、高成長だった1970年代までの再分配の水準を取り戻せと主張していることである。それでは、成長への投資に富の集中が必要だとする主張に対抗し切れないだろう。

 本コラムは、アトキンソンのような、再分配は必ずしも成長を阻害しないというソフトな立場は取らない。成長の方策も具体的に示すとともに、福祉の向上は、倫理的であるだけでなく、経済的にも「儲かる」ことを明らかにする必要がある。とりわけ、我々は、激しい少子化に直面し、生き残りを賭けた企業の行動が人的資本の収奪を起こして、経済活動はおろか、国の存続を不能にしたことを経験しているわけだから。

 再分配によって人的資本への投資を増やし、少子化を解決することは、収益期間を無限にして、大きな経済的メリットをもたらす。すなわち、不合理を正す再分配は、コストを賄えるのである。具体策で示そう。本コラムでは、『雪白の翼』で、年金制度を利用することにより、負担増なしに、0~2歳児に月額8万円という大規模な給付ができることを示した。こうしたマジックが可能なのは、乳幼児への給付で、女性が仕事を辞めなくて済むようになり、出生率が向上して、大きな経済効果が生まれるからである。アトキンソンがどんな国でも再分配の中心となるべきだとする児童手当は、日本では容易に拡張できる。

 また、『ニッポンの理想』で示したように、年金制度を使えば、アトキンソンが求める非正規化への対応も簡単だ。多くの若者や女性を苦境から解放することができる。必要な財源は1.6兆円で、今年の補正予算の半分足らずである。何なら、財源なしでも可能だ。それは、日本の年金制度がマクロ経済スライドという仕組みを持ち、自動的に年金給付から若年期負担への「平等化」が進められるからである。むろん、非正規を救うことによる人的資本への貢献は、お金に代えられないものになるだろう。

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 多くの人は、アトキンソンの提案を見ても、日本ではとても無理としか思われないだろう。しかし、諸外国に比して大規模な積立金を持つ日本の年金制度を活用すれば、容易に実現できることが並んでいる。難しいのは、年金制度は、一般の人にはなじみがなく、少子化で破綻するくらいのイメージしかないことである。本当は、需要を管理して成長を促しつつ、人への投資不足を解決できる力を秘めている。ここにブレーク・スルーの可能性がある。

 2016年の経済がいかなる展開になるかは誰も分からない。一つ言えるのは、もし、円高株安が緩やかでなかったとしても、対応策はあるということだ。閉塞は、デフレでさえも緊縮財政を渇望するイデオロギーがもたらしているに過ぎない。エリートが焦る財政赤字の管理も、本コラムでは解決済みの課題だ。遼遠に見える社会保険の適用拡大も、母子家庭の貧困を救うという小さな優しさがあれば、糸口がつかめる。緊縮レジームの外には、澄み渡る新春の青空が広がっている。
 

(元日の日経)
 アジア40億人の力。日銀の物価見通し下げへ。出生数5年ぶり増、子育て支援影響か。

※『21世紀の不平等』(我々に何ができるのか)は、彼の15の提言(p.275)を確かめた上で、第Ⅲ部から読んではどうかと思う。ここは経済学徒にとって考えさせられる部分だろう。
※アトキンソンの提案7は、GPIFが株式比率を上げたことで実現しているとも言える。これを知ったら、危うくも大きな成果に驚くかもね。

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1 コメント

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Unknown (bonoxylove)
2016-01-02 17:39:59
>>乳幼児への給付で、女性が仕事を辞めなくて済むようになり

ほとんどの女性が旦那に十分な収入があれば専業主婦になりたいと思っているのに、なにゆえそれほどまでに女性の会社進出にこだわるのか。本コラム唯一の謎。

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