ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-8-6(火)、弟の告別式 ☁

2024年08月07日 05時26分39秒 | 兄妹
エアコンの効いた部屋で、朝4時に目覚めて、昨日の通夜のブログを綴って、弟がどんなに甥や姪、孫達に思い出を残していったか、思い知った2日間となった。

長岡京シティホールの周りを歩いていたら、美味しそうなパン屋を見つけました。

目を覚ました弟の孫を連れて、ドッサリと買って来て、昨日泊まった弟の嫁や甥と孫と一緒に食べたら、焼き立てのせいかとても美味しかった。

でも孫はまだ眠かったのか、リクライニングシートに座って眠り始めた。

朝食を食べ終わった姪家族もやって来て、残ったパンを食べてもらった。

式場には、弟のために朝食が用意され、お棺の中に死出の旅にお腹が空かないように入れてくれるそうです。


9時ごろになると、兄と弟、甥達もやって来て、懐かしい写真を見て、弟の嫁が「これ母の写真をアルバムだよ」と教えてくれた。

母の葬式の時に弟が貰ってきたようである。

しかし、小さい頃の弟の写真ばかりであった。

やはり皆懐かしさや昔の子供の頃の様子が走馬灯のように蘇ってきます。

このアルバムは私達が生きている限りは残して欲しいものです。

弟の嫁の兄弟もやって来て、席がいっぱいになり、10時には音楽葬が始まりました。

昨日と違ったエレクトーンの演奏者によって「千の風」から始まり、「イマジン」「イエスタディ」「幸せのトンボ」「愛燦燦」などが演奏が流れてくると、自然と弟のことが思い出されて、涙が溢れています。

昨夜と同じように喪主からお焼香が始まり、一周して弟の顔を見て、お焼香をしました。

家族葬なのか、いつもより丁寧な告別式のやり方でした。

お棺に最後のお別れに、孫達の大きな泣き声につられ、涙が止まりませんでした。

顔が見えないくらい花で埋め尽くし、孫達はそれぞれジイジへの別れの手紙を入れていました。

ワゴンカーには、家族とそれぞれの兄妹の代表が乗り合わせて、京都市中央斎場へと向かいました。

京都には火葬場が少なく、近隣の市町が集まってくるので、大変な渋滞で、火葬場に入るのも大変でした。

待合室も火葬が済むのを待つ人でいっぱいで、1時間位経つと係の人が案内してくれました。

やはり突然に死を迎えたせいか骨はシッカリ残って、喉仏
や指仏も残っていました。

隣に座った孫に「ジイジの思い出がこの胸にしっかり残っているからね、時々思い出してあげてね」というと、コックリと頷いてくれました。

式場に戻ると、七夜の用意がされており、おしながきが用意され、京都料理を満喫しました。


また、大きなお供えのお菓子などが入った袋は送ってもらうことにしました。

長岡京まで送ってもらい、京都から新幹線に乗ると、あっという間に名古屋に到着。

家族や兄弟に惜しまれて、天国に召された弟は、最後は苦しまず、みんなに介護の手間もかけず、思い通りの人生だったかもしれませんが、少し早まったなあと後悔してくれてもいいような気がします。

思い出す度に涙が溢れています。只々冥福を祈るばかりです。

残された家族を空から温かく見守ってね。

これから育つ孫達の成長も楽しみにね。

私たち兄弟も昨年姉が83歳で旅立ち、弟が71歳で今回旅立ち、残された兄弟は88歳を筆頭に80歳77歳75歳の4人になってしまいました。

兄も順番なら仕方がないがといっていたが、これから誰が旅立つのか分かりません。これからしばらくは姉や弟の法事で出会うことになるが、だんだん会える機会は少なくなるが、なるべく元気で会えるのを楽しみにしています。

今日の万歩計は、7,127歩でした。


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