ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2022-2-11(金)、母の6年目の命日 🌤️

2022年02月12日 05時07分31秒 | 冠婚葬祭
室温は5.3度。

今日のシルバー川柳は、
「ディサービス『お迎えです』は やめてくれ」

今日は母の6年目の命日です。

仏教でいうなら7回忌になりますが、1月30日に兄弟が集まって、7回忌を行う予定だったが、コロナ感染者が増えて、まん延防止になってしまったので中止になりました。

母が好きだった「助六」を娘に買ってもらって供えました。

命日にお参りをするのは、夫と母だけだったが、父や夫の父母も命日にはキチンとお参りをするために、スマホのカレンダーに命日を記入しました。

夫の父(由松)は、夫が小学生低学年の時に、1949年12月21日に46歳の時に病気で亡くなっているので、写真だけはあるので、命日にはこれからは仏壇に写真を置いて、お参りしようかな。

夫の母(マチ)は、1981年7月13日に亡くなっています。

父が亡くなって、母親一人で6人の子供を大変苦労して育て、長崎県からは一度も出たことがないそうで、母が危篤だと知らせが入って、直ぐに飛行機で長崎に飛んでいったが、飛行機が長崎に降り立ったときには、亡くなってしまったので、死に目には会えませんでした。

私の父は、1978年11月14日に佐屋に引っ越ししてから、10年ほど肺気腫で、療養しながら治療をしていたが、体調を崩して、近くの病院に入院をして、70歳でそのまま亡くなってしまいました。

4人の親がいて、私たち夫婦が生まれ育てて貰ったので、命日には忘れずにお参りをするようにしようかな。

やはり歳を取ったせいかな?

娘も私も今日は祭日(建国記念日)だったことをすっかり忘れて、娘は学校に、私は見まもり隊に出掛けてしまった。

毎日日曜日の暮らし方をしていると、祭日なんかは忘れているものですね。

今日の万歩計は、4,468歩でした。


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2022-2-2(水)、夫の仏壇は花盛り 🌤️

2022年02月03日 03時27分05秒 | 冠婚葬祭
室温は6.6度。

巡回バスに乗って、赤いキャリーバッグを持って、社会福祉協議会にサロンのニュースを取りに行く。

「福祉の里さや」の畑で育てた大根で作った切り干し大根を売っていたので、3袋買ってきました。

帰りに久し振りに「エールブランシュ」で、コーヒータイムしてゆっくりと新聞を読んでいると、愛西市コロナ感染者が24人増えて、1,091人にもなっていた。

全国で一日で8万人も増えて、オミクロン株の感染力の凄さに驚きである。

午後から孫娘と嫁がやって来て、お父さんの告別式を終えて、お供えの花束を持ってきてくれました。

夫の仏壇が花で一杯になりました。

告別式は家族葬でしたが、お父さんの兄弟や従兄弟で、30人も集まったようです。

コロナの時期でも、賑やかに葬儀を終えることが出来たようです。

お兄さんが喪主をしたそうですが、遺伝的な血液の癌で、体調がスグレない中で、立派にお父さんを送る喪主の責任を果たしたそうです。

お母さんの哀しみを思うと何だか涙が出てきました。

しばらくは後片付けが大変ですが、体調には十分気を付けて欲しいものです。

今日の万歩計は、9,096歩でした。

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2022-1-30(日)、 嫁の父旅立つ ⛅

2022年01月31日 04時24分28秒 | 冠婚葬祭
室温は7度。

今日は少し暖かい一日となった。

散歩途中、友人宅で夫の仏壇に供える花(黄水仙、白椿、ロウバイ)をもらってきました。

友人が3ヶ月骨折、リハビリで入院していて、やっと退院してきたので、道楽の郷でドッサリと野菜や果物を買って、娘とお見舞いに行く。

部屋の中では、ゆっくりと歩けるようであるが、食事の支度も含めて家事全般は、息子さんがしてくれているようである。

入院中は、お見舞いも行けず、娘や息子にも会えず、時々電話で声をかけるだけで、寂しい入院生活で、このまま家に帰れるのか心配していたが、何とか帰ることが出来て良かった。

しかし、月曜日から金曜日までは、デイサービス、訪問リハビリ、ヘルパー派遣などで介護の予定がギッシリと入って、結構忙しそうで、退屈をしなくても良さそうであった。

家に帰ると、息子からラインで、嫁のお父さんが今朝亡くなったと連絡があった。

葬式は家族葬でするので、行かなくてもいいといったが、香典だけでも誂えることにした。

嫁のお父さんは6年前に脳梗塞で倒れてから、アッチコッチの病院や施設をタライ回しにされ、この2年間はコロナで家族にも会えない寂しい日々を送っていました。

年末にお母さんの話では、食事も少しは食べれるようになってきたと喜んでいたのに、金曜日から急変して、昨日は家族がみんな集まって、お父さんとのお別れができたようでした。

最近はコロナで入院したり、施設に入所すると、家族にも会えなく寂しく旅立つ人が多くなっています。

人間は一人で生まれて、一人で死を迎えるとはよく言われますが、でもこんな寂しい終末は耐えられません。

夫が亡くなったときも、私が家に帰ったときに個室に移された時は怒っていたのが、最後の言葉でした。

あ~あ、絶対に病院では死にたくないとつくづく思いました。

夫の仏壇に、「嫁のお父さんがそっちに行ったので、会えるかもしれないからよろしくね」と声をかけました。

家で最後を迎え、みんなに「ありがとう。幸せだった」と笑って、お父さんの所に旅立ちたい。私の終末の願いです。

今日の万歩計は、7,131歩でした。


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2020年12月19日(土)、友人の夫の告別式 ⛅

2020年12月20日 05時09分49秒 | 冠婚葬祭
今日も寒い一日となった。

なかなか布団の中から出れなくて、8時近くになってしまった。

昨日生協で米麹が届いたので、甘酒作りをしました。

そんなこんなで午前中過ごしていたら、友人から「昨日お父さんが死んじゃった。今日告別式だけど、顔だけ見に来て」と電話があった。

ビックリして、すぐに娘と準備して式場に駆けつけました。

今月の始めに救急車で運ばれ、2週間ほどで退院してきたと思ったら、すぐ翌日には喉をつまらせてまた入院したばかりであった。

18日の午前2時に、誤嚥性肺炎で亡くなったそうです。

50代で脳梗塞を何度も繰り返し、年に何度も入院を繰り返しながら、徐々に重症になり、最近はほとんど寝たきりの状態で、友人は家で25年近く看病して来ました。

本当に頑張ってきた。頭が下がる思いです。本当にご苦労様と言いたい。

寂しくなるけれど、しばらくはゆっくりして、体を休ませてください。

彼女自身の健康な体を取り戻すことが先。

これからは自分自身のための人生を健康で生きることに心がけてほしいものです。

今日の万歩計は、1,890歩でした。




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2019年10月13日(日)、甥の結婚式 🌞

2019年10月14日 04時00分03秒 | 冠婚葬祭
台風一過の涼しく晴れ渡った甥の結婚式にふさわしいお天気になった。

結婚式が午後3時から岡崎であり、息子の車で兄をのせて、一緒に出掛けました。

食事が午後4時のために、待合室でちょっとした前菜が用意された。



まず、人前結婚式を式場で行い、甥の照れる顔がとても見ていて、とてもほほえましい。

庭でまずオレンジや飲み物で乾杯し、披露宴会場に移動する。



お嫁さんがよく笑って楽しい披露宴だった。

食事も次々に出て、どれも美味しかった。







お腹一杯になって、ケーキやパンは食べられなかった。

今晩体重計に乗るのが怖いくらいである。

お色直しは、派手やかな着物に着替えて、美人顔にとても似合っていた。

紅葉の紙を蝋燭が浮かぶ水の中にいれると、輝いてとても綺麗だった。



蝋燭に蓋をすると、二人からの手書きのメッセージがでてきました。

いろいろな催し物が用意され、楽しい結婚式であった。

よく笑うお嫁さんで、楽しい笑いの多い家庭をきっと作っていくことでしょう。

お幸せに❗

甥の結婚式が最後になるので、兄妹で会うこともこれから少なくなるのが寂しいですね。

今日の万歩計は、3,028歩でした。
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